みんな何かを証明する必要なんてない

やっと「キャプテン・マーベル」を観た。もちろん面白かったのだけれど、一番印象に残ったのは「(私はあなたに対して)強さを証明する必要なんてない」というセリフだ。

証明という言葉はいかにも正しそうな顔をしてるから、つい使いがちだ。「これまでの努力を証明するんだ」「ホントにできるって証明しなさい」とか。

そして言われるだけじゃなく、自分でもいつのまにか「僕もやれるって証明してやる」みたいに思うこともある。

でもそれって誰に対してだろう。

これまで努力してきたなら、それを証明しなくても今の自分は「努力してきた自分」だし、ホントにできるなら証明しなくても「できる自分」なわけだし。わざわざ証明する必要なんてない。

思うに「証明しなくちゃ」と思う時って、特定の誰かに対してというより「不当な偏見や思い込み」に対してが多いのではないか。

「女性だってやれるって証明しよう」

「若くたってできるって証明しよう」

もちろんそれが原動力になることも多いし、証明しようとして頑張ることは悪いことじゃない。

でもそれは例えば女性や若者に対する偏見や思い込みという状況があるから「証明しなきゃ」という気持ちが生まれる、ということも同時に忘れないようにしないといけない。

ほんとは「みんな証明する必要なんてない」はずなのだ。

そして「証明が目的化してしまわないようにすること」を気をつけないと、いつのまにか偏見や思い込みの影響を受け続けてしまう。

それにしてもマーベルは、2000年代以降「社会の窓」となることを決意しただけあって、メッセージ性が高い映画が多い。もはや敵は天才犯罪者や宇宙生物ではなく、社会課題なのだ。


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