ノスタルジック暴力

ようやく夏らしくなってきましたね。夏らしいとはなにか、ということはさておき。

夏といえば一年で一番ノスタルジックな季節で、毎年フジファブリックの「若者のすべて」を聴く度にそれを再確認するんですが、みなさんどうお過ごしですか?もっと「夏は今を楽しむ季節!」って感じなんでしょうか?

僕にとっては夏は今というより過去の色合いが濃い。蝉の音が夕暮れになりひぐらしに変わっていく瞬間や、夜の田んぼで鳴くカエルのうるささや、道に落として溶けたアイスに群がるアリや、夕立の後のむわっとした緑の匂いや、並んで歩く影の濃さや、プールに向かう子供たちの透明のバッグや。

これらはみんな過去を思い出させるフラグだ。その過去フラグが特に多いのが夏だと思う。

いいじゃんノスタルジーに浸れるって、と思われるかもしれない。ノスタルジーといえば古民家をリノベしたカフェでほうじ茶ラテ飲んでまったり、みたいなイメージかもしれない。

でもノスタルジーって実は暴力的なものなんじゃないか、と思う。暴力反対。それは言い過ぎだとしても、まったりとは対極の存在だ。そもそもノスタルジーの日本語は「郷愁」で「愁い」が入ってるしな。その字は秋の心ってなってるのが納得いかないけど。

ノスタルジーは、失われてもう取り戻せない過去に気づかされて、急に心に空白が生まれ、その空白に心がヒュッと流れ込むことで、心の気圧が変わり、そのせいで胸が締め付けられる感覚のことだ。しかも不意に。こちらが身構える隙も与えず。そのあたりが暴力的な感じがする。

しかも「過去」はいつも「今」より有利な立場にいる。以前山下達郎(あーこの人の夏の歌もノスタルジー暴力だなー)がインタビューで

「昔は名曲がたくさんあった、それに比べて今は少ないって嘆く人がいますけど、違うんですよ。今だって名曲はたくさんあるし、昔にも取るに足らない曲はたくさんあった。でもそういう取るに足らない曲は時間の経過とともに忘れられ、淘汰されて、今まで生き残ってるのが過去の名曲なんです。だから昔は名曲がたくさんあったと感じるだけなんです」

と言っていたが、それと同じで、過去は時間が経つとともに濾過され濃縮還元されて、よきものだけが残るようになっている。

それに比べて「今」はよきものも嫌なものもごちゃ混ぜだ。総量としてはよきものが多いとしても、密度は低い。だから失われた過去は大抵の場合よきものとして認識されていて、それがもう取り戻せないものだからこそ胸が締め付けられる。しかも年をとれば取るほど失われた過去も増える。分が悪すぎませんか。

いや、だからといってノスタルジーが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。好きだけど切なくて悶々とする。ちょっと片思いに似ている。そんな季節がこれから始まる。

不意に来る夏の過去フラグに、特に夏の終わりはそれがさらに強力になるので気をつけながら、今年の夏を過ごしたいと思う。


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