すべては回収されるための伏線
映画が好きで、小説や詩、随筆も好き。
これらが持つ「物語の力」に救われてきた身としては、生きていくために必須のアイテム(言い方!)だと思う。
物語のタイプとして「それとは感じさせずにさまざまな伏線を張り、最後にすべて見事に回収する」というものがある。
そんな物語を数多く読んでいると、いつのまにか「伏線センサー」みたいな感覚が磨かれ「あれ?これって何気なく描いてるけど実は伏線なのでは?」に気づく力がつく。
そしてそのセンサーは日々の暮らしにも役立つのだ。
思いがけない出来事で困難な状況に陥った時。 誰かの心ない言葉を浴びた時。
気持ちが通じない孤独さを味わった時。
思わず知らず誰かを傷つけてしまった時。
自分が目指す理想に追いつこうともがいている時。
そんな時、その出来事だけを切り取って意識をフォーカスしてしまうと、出来事以上に出来事が大きく見えてしまい、先が見えない暗澹たる気持ちになってしまう。
そうではなく、これは何かの伏線なんだと思ってみる。すべてはいつか回収されるための伏線だと。
そうすると、この出来事にはどんな意味があるんだろう?どういう風に回収されればよりいい結末につながるんだろう?という意識が生まれる。
そしてそんな意識になると、自然といい物語になる(する)ように伏線を起点にして行動するようになるのだ。
そしたら現実にいい物語が展開しはじめる。かかっていた靄が晴れ、希望に溢れたエンディングに向かう道が見えてくる。
自分の人生という物語の主人公の視点と作者の視点。
この2つの視点を持つことが、よりよい人生を生きる秘訣なのでは、と思った。
だから大丈夫。これまでのすべての伏線が見事に回収される「自分が惚れ直すことができる」結末が待ってるから。