風の名づけ親
自然現象の中で一番好きなのは風だ。
肌を柔らかく撫でるそよ風も、風の又三郎に出てくる「どっどどどどうどどどうどどどう」のような、青いくるみを吹き飛ばす強い風も。
日本には風の名前だけでも150以上あって、今の季節に吹く強い風は「初夏の青葉を揺らして吹く風」という意味で「青嵐」というらしい。
これだけ風の名前が多いのは、もちろん農業をする上で天候を細かく分類する必要があったからだろうけど、最初その風を名付ける時には実務的なものを超えたワクワクする気持ちがあったに違いない。なんたって名前の生みの親になるんだから。
例えば「そよ風」なんて思いついた時すごくワクワクしたと思う。「この感じ、言葉にすると、、、そよそよ!そよそよだ!こんな風をそよ風と名付けよう!」(注:歴史的事実とは異なる場合があります)
今となってはあの感じを「そよそよ」以外ないと思ってるもんなあ。そういう意味では、名付けるということは、自分が世界からいなくなった後も、生きた証が残り続けるということかも。
誰かが「そよそよ」という度に、自分が残した言葉の波紋がしゅわんって小さく広がる感じ。
そういう言葉を生み出せたらなあ。