いい質問の形は意外と
昨日は話し込んだので、知的慣性の法則がたくさん働いて頭の中がぐるぐるだ(すごく楽しいという意味)。
その中で気になったテーマの一つ「いい質問」について。
答えよりも「どれだけいい質問ができるか」が大事だと言われて久しいし、実際その通りだと思う。
そしていい質問といえば池上彰さんの「いい質問ですねえ〜」が音声付きで思い浮かぶわけだが、それがある種「いい質問」の定義を限定している気がするのだ。
池上彰さんに限らず、世の中の多くの「いい質問ですねえ」発生状況は、答えを知っている人に対して答えを知らない人が、答えにつながる核心をついた質問をするというものだ。
つまり質問の一部に答えをはらんでいるのがいい質問、というのが一般的な認識だ。
ただそれは新しい答えを生む質問とは少し異なる。掘り下げるというより、すでにある正解に最短でたどり着くための質問だ。
それに対して、問う側が「よくわからないけどこう感じるんです。。。」と言い、答える側が「え?どういう意味ですか?ちょっとわからない。。」となる質問は、普通いい質問だとみなされない。だけど実はそんな質問こそ新しい答えを生むための第一歩じゃないだろうか。
例えば「よくわからないけどこう感じるんです」という質問は、何なのかわからないいびつな形の塊、みたいなものだ。
その塊が問う側と答える側の間にぼふんと置かれている光景をイメージしてほしい。
お互いそれが何かわからないので、二人して「これは何なんだろう?」と考えている。何かわからないが妙に気になる、不思議に惹かれると思って考えている。
この瞬間に二人は、問う側と答える側という関係ではなく「一緒に考える関係」に変化する。
そして二人で、そのいびつな形の奥にひそんでいる新しい答えを探す旅に出かけるのだ。向き合う相手ではなく、ともに歩む仲間として。
そう考えると、いい質問の形は意外といびつなのかもしれない。
もちろんそのいびつさが相手の興味を惹く形になっているのは前提だけど。