ドラマティックが止まらない
なんてタイトルだ。夏の夜に書いているとはいえいかがなものか。客観!
さて。
昔シナリオを書いていた頃、ドラマティックな物語を生み出そうと(そして賞を獲ろうと)いつもネタ探しをしていた。でもネタ探しをすればするほど出てくるアイデアはどこかで聞いたような陳腐なものばかりで、途中で飽きて最後まで書けなかったり、書いても一次で落選したりしていた。
そんな時、シングルマザーの子育てをテーマにした連ドラが始まり、ドラマ好きの間で話題になった。
ふと「そういえばうちのおばあちゃんもシングルマザーだったな」と何気なく思い、待てよ、と気づいた。
ドラマティックなことがないかと探し回っていたけど、実は気づいてないだけで、すごく身近な場所にドラマはあるんじゃないか。ドラマってチルチルミチルの青い鳥なんじゃないか。
「人は美しいものを求めて旅をするが、自らの心に美しいものがないとそれは見つからない」という言葉があるが「ネタはねえがあ〜」とさもしい顔で探し回っても見つかるわけがなく、素直に周囲を見渡せばドラマはたくさんあるんじゃないか、と思ったのだ。
例えば僕の父方の祖母は息子(つまり僕の父)が大学生の時に夫を亡くしてその後はシングルマザーとして父を育てたし、それでいうと父も若くして父親を亡くし、一家の中でたった一人の男手として大学院進学の夢を諦めて教師になった。そしてその祖父の職業は実は公安だった(これには「ドラマか!」と驚いた)。
一方で母方の祖父は戦争時に教師として満州で働いていて、母はそこで生まれた。そして終戦後命からがら日本に戻ってきた。運が悪ければ残留孤児になっていたところだったという。乱暴をされないように男のような格好をして日本に渡った祖母はその後、産婆さんとして僕をとりあげることになる。
ドラマティックが止まらない。
でもこれは僕の周囲が特別ドラマティックだったというわけではなく、おそらくみんなも身近な場所を探してみると同じようにドラマティックが止まらなくなるはずだ。
だって一定以上の年齢のお年寄りはみんな戦争経験者だし、お見合い結婚も、高度経済成長も、そして僕やみんなが生まれたことも、すべてがドラマで、奇跡の積み重ねだ。何かがひとつズレても今の僕らはない。
そう思うと、日常を見る目が変わり、自分にしか語れない物語があることに気づく。そんな物語は強くてしなやかで活き活きしている。
今ではシナリオは書いていないが、どんな形にせよそういう物語をこれから書いてみたいと思う夏の夜であった。夏の夜ってそんな気持ちになることあるよね。