システムと一人称と千と千尋

知的慣性の法則パート2(なんだそれ)。

話し込んだ分だけ気づきも多くなる。そんな相手がいるのはとてもうれしいことだ。

さて。

システムの目的は効率化だ。そのために人はそれぞれ役割を与えられ、その役割を過不足なくこなすことを求められる。

ポイントは、不足はもちろん、過ぎたことをしても(例えそれが好意からくる善きことだとしても)いけないということだ。なぜならそうすることで全体のバランスが崩れて効率が悪くなるから。ふむ。なんだか息苦しいぞ。

そうするとどうなるか。役割が一人称を乗っ取ってしまうのではないか。その方が、わかりやすいし、褒められるし、考えなくてすむから。要は楽だから。

「千と千尋の神隠し」で湯婆婆が千尋から名前を取り上げて役割(仕事)を与えたのが象徴的で、自分の名前を忘れると元に戻れなくなるというのは、役割に私という一人称を乗っ取られるということだ。ふむ。怖いぞ。

ただ千尋は一人称を忘れず、自分で考えて「過ぎた」行動をすることで変革をもたらし、周りの人も変えていく。その変革は最初は混乱にしか見えないかもしれない。だから非難されるかもしれないし、迷うかもしれない。それでも一人称を忘れず動くことで効率化ではたどり着けなかった想像以上の結末へと物語を導くのだ。

僕らは毎日、多かれ少なかれ社会の中である役割をまとって生きている。時には周りから役割を負わされることもある。

そんな時は「役割に一人称を乗っ取られる怖さ」をしっかり意識しながら、よく考え、過ぎた行動をするのを恐れないように心がけていきたい。

自分の名前を忘れないように。


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