「World Is Myself」第5話(第3章)
**第1幕**
夢を見ていた。
それは、過去の記憶。
私がまだ病気になっておらず、外で遊んでいた時の光景。
当時感じていた夏の暑さや草木の匂いが懐かしい。
あれから10年も経つのに、今でも思い出せる自分はすごいなと素直に感心する。
それは彼、浅田 雪(せつ)君との思い出。
彼の名前から、ゆきちゃんと私が呼ぶことを凄く嫌がっていたけれど、そんな彼の様子を見るのが凄く好きだった。
笑顔を見せる私と仏頂面の彼、そして、彼のおじいちゃん。
この記憶は間違いなく私の中で、大切な思い出として、私という人格を形成する一端を担う出会いだった。
だからこそ、いつまでも、何度でも見ていたいと思うけれど、無情にもそれが私の記憶の中の形ないモノだといつも起きてから思い知らされる。
その時の棘が刺さったような心の痛みは、ちくりと私の心に残滓のようにじくじくと残り続けていた。
「ゆき・・・ちゃん」
見慣れた部屋の天井を眺めながら、目を覚ました。今まで見ていたものは、記憶の片隅に退散して病気による胸の痛みが目の前が現実であることを告げていた。
近くのテーブルに置いてある薬と水を流し込んで、深呼吸した。しばらくしたら落ち着くはずだ。
手の届く位置にあったということは、誰かがこの部屋に入ったのだろう。
その答えはすぐに部屋の扉を開けて現れた。
「おはよ、さち。気分はどう?」
軽く手を左右に振りながら、姉のみゆきが部屋に入ってきた。
真紅のライダースーツに黒のパンツを身にまとい、髪を一房にまとめたポニーテールがよく似合っている。
「まだバッドだよ、お姉ちゃん。ちょっと、しんどい」
私が指でバッテンを描くと、首を上下に振ってお姉ちゃんは近くの椅子に座った。
「そうか、無理せず横になっておきなさい。沙織さんも心配してたよ」
沙織さんとは、我が家の家政婦さんだ。
普段は優しいけど、私や姉が悪戯をしたときや使用人のドリルさんに対しては鬼のような形相で怒る、行動がハッキリしている人だ。
「うん、後でお礼いっとくね。お姉ちゃんもありがとう。最近忙しいんでしょ」
「いえいえ、どういたしまして。最近はちょっと野暮用が増えたからね。中々、来られなくてごめんね」
今年で22歳になる姉は、難関高校を主席で卒業し、海外の大学へ進学すると飛び級で卒業したと聞いている。
そんな姉が手こずる野暮用の話も聞いてみたいけど、今日は置いておこう。
「ねぇ、お姉ちゃん。時間まだある?この体調じゃVIWには入れないし、ちょっとお話し聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
「ありがと、私がまだ病気なってときにね、男の子に会いに公園に行ってたときがあったの。さっきその子の夢を見てたんだ」
「へぇ、初めて聞いたよ。仲良かったの?」
「うん、周りの子と仲良く出来なくて、唯一、一緒に遊んだのがその子だったんだ。名前は『浅田 雪(せつ)』。私はゆきちゃんって呼んでたの」
「雪と書いて『せつ』と読むのは珍しいね。男の子にゆきちゃんは、同情するよ」
お姉ちゃんがくすくすと笑った。
上品な笑い方で私は、綺麗な笑い方だなぁと感心というか羨ましく思った。
「そのくらい親しく思ってたの。私にとって、初めてで唯一無二の友達だったから」
「そっか、その子のこと、好きだったの?」
「どうかな、好きってよく分からないから」
「その子と毎日でも会いたかった?その子といて居心地が良かった?」
1度、目をつぶり過去の2人で過ごした思い出を脳裏に浮かべて答える。
「うん・・・」
「その気持ち大事にしてね。恥ずかしがることはない。さちの心が感じた感情は間違いなくさちだけのものだから」
「そっか、ありがと。お姉ちゃん」
にこっ、とお姉ちゃんが微笑んだ。
「その雪くんとは、最近は会ってるの?」
「んーん、私が家に引きこもるようになってからしばらく会いに来てくれてたんだけど、いつからか来てくれなくなって、、」
私は、当時の悲しみを思い返した。
それまで、少なくとも1週間に一度は会いに来てくれていたのに1ヶ月経っても来なかった。
希望を持って待っていた時間の分だけ、来ないとわかった時の絶望は大きくてしばらく心に穴が空いたように考えることを拒否していた。
「それは、気になるね。せつくんに来れなくなった事情があったのかもしれない」
お姉ちゃんは少し考えたあと、
「よし、せつくんは私が探しておくよ」
意外な提案をしてきた。
「え、お姉ちゃんも忙しいのに悪いよ」
「そんなことあんたが気にしなさんな。何か進展があったら、連絡するね」
話しは終わりとお姉ちゃんは、そそくさと部屋の扉へと向かい、廊下に出ると上半身を出した状態で私に手を振った。
「またね、さち」
その言葉を残し、爽やかに去っていった。
〜〜翌日〜〜
体調が回復し、いつも通りVIWのアイランドセントラル学園へ登校した。
「おはよー」
私が教室の扉を開けて中に入ると、何人か反応してくれた。
いつも真っ先に私のところに来てくれるハル子は、見当たらない。
それにどことなく、いつもより朝から雑談をしている人が多い気がする。
みんな数人のグループに分かれて、ヒソヒソと会話している。
とはいえ、興奮しているからかこっそりした感じではなく、雑談のような声量になっている。
今は、2週間後に迫った文化祭の準備を進めているため、浮ついたり感じになるのは理解できるけど、どうも雰囲気がそれとも違うように感じる。
近くにいたクラスメイトの1人に聞いてみることにした。
「ねえ、みんなの様子が変だけどどうしたの?」
彼女はウキウキした様子で近づいてきて、私の耳元に顔を寄せた。
「あのねあのね、内緒なんだけど」
女学生の『内緒なんだけど』は、『明日からダイエット頑張る』と同じくらい信用がなく、その秘匿性の低さは薄皮一枚程度しかない。
「ハル子ちゃんが、他校の生徒に告白されてたらしいよ!」
これがクラスがざわついてる理由か、、。
「そうなんだ、、。教えてくれてありがとう」
教えてくれたクラスメイトにお礼をいって、もう一度周りを見渡してもやっぱりハル子はいない。
授業の時間が近いため、ハル子へ連絡だけ行い、後で話を聞くことにした。
****
ハル子からの連絡は、昼休みにきた。
『ごめん、今日は登校しないから17時にABCカフェで会おう。うちも聞きたいことがあるから』
『りょーかい』と返事をして時間外にお店の並ぶ街中に出てきた。
ABCカフェは、行きつけのお店で学生向けに安価に飲み物を提供してくれる仲の良い老夫婦が営んでいるお店だ。
アンティーク家具が並べられた店内は、落ち着いた雰囲気で安心できる。
仮想空間内にカフェを出店しているのは、チェーン店が多いので個人が経営している珍しいお店だ。
今は授業が終わった後の16時、もう少し時間があるので、お店を巡って時間を潰していた。
この辺りは、商店が立ち並んでいて主に洋服や雑貨、カフェなどの若者が立ち寄ることを想定した店舗がおおい。ふと、お店を見ている中で見知った顔を見つけた。
「アインスくん、久しぶり!」
スノウちゃんがNPCではなくなって以来、2週間振りに顔を会わせた。
以前は赤色のパーカーを着ていたが、今日は同じ柄の黄色を着ている。こちらを振り返ると、にこりと笑顔を向けた。
「こんにちは、さちさん。私はドライと申します!アインスより、話を伺っております。申し訳ございませんが、本人ではございません」
丁寧な口調で本人ではないと否定の言葉を頂いてしまい、困惑した。確かにプレイヤー名は、drei(ドライ)と表記されている。
「アインスくんではないんですね。ご兄弟の方ですか?」
「その辺りの説明は、アインスからさせた方が良いでしょう。ちょっと呼びますね」
いうが早いか、手元で指2本を動かすとメッセージを送信しているようだった。
5分ほどですごい駆け足で本人と思われる赤いパーカーを着たアインスくんがやってきた。
「さちさん、しばらく振りです。驚かせてしまったみたいですみません、、」
息を切らせながら、現れたアインスくんが開口一番に口にした。
「大丈夫だよ、状況が掴めてないだけだから。えっと、兄弟じゃない、って聞いたけど、2人はどんな関係なのかな」
「彼は僕のクローンアバターと呼ばれる存在だよ」
「クローン、アバター?初めて聞いた」
「一般的にはあまり認知されていないシステムオプションだからね。クローンアバターは、一言で言えば自分の分身のような存在を作れる機能だよ」
「そうなんだ」
ちらりとドライさんを見ると、ニコリと笑いこちらに会釈した。
「すごい技術だけど、NPCと同じなの?自由に動かれると怖くない?」
「その点は大丈夫。知識は共有してるけど、知能までは僕と同じではないから簡単な受け答えが出来る程度のことしかできない。彼らは、主にこのワールドの管理で人数が必要だから作ったんだ。実は僕の仕事がワールドの管理業務の請負なんだよ」
「おお、見た目によらず、すごいお仕事をしてるね」
素直な感想を漏らすわたしに、
「きみは相変わらず、何気に傷つくことをサラッと口にするね」
苦笑いして口にした。
「そうですか?」
わたしがキョトンとした顔をすると、
「まあ、いいけど」と話を続けた。
「彼らがいると、何か気になったことを即時報告してくれたり、ログアウトした後、クローンアバターがみた知識も共有されるから助かるんだよ。8人いてドイツ語の数字になぞらえてacht(アハト)までいるよ」
「なるほど、みんな同じ名前にはしないんですね」
「流石に見た目も名前も同じでは、周りの人が区別をつけられないからね。ま、僕にとっても分かりやすくていいんだよ」
それもそうか、どこに誰を配置したとかみんな名前が一緒だと分かりづらいしね。
「アインスくんのクローンアバターでスタンプラリーとかしたら面白そうだね。今度みんなに会いにいってみようかな」
「きみは、、突拍子もないことを思いつくな。色んなところに点々と配置してるから、会ったら声をかけてあげてくれ」
「そうします!あ、もう時間だ。アインスくんまたね」
ドライさんとアインスくんに手を振って、その場を後にした。
よく考えると、2人は同一の存在ならドライさんもくんなのかな、と、考えながらABCカフェに向かった。
****
お店に入ると、すでにハル子は席についていた。わたしがお店に入ってきたことに気づくと、軽く手を振ってわたしを誘導した。
「ごめん、お待たせハル子」
「んーん、気にせんでええよ。うちも待ってないし」
彼女の目の前に置かれているカフェラテが既に半分くらい減っているため、多少待っていたと思うけど臆面にも出さない。
「今日は来てくれてありがとね。あ、わたし、オレンジジュースお願いします」
お店のおばあちゃんに注文して席についた。
「こっちこそありがとね。今日は普通に登校したん?」
「うん、体調も回復したから。ハル子はどこかに行ってたの?」
「ああ、ちょっと別のワールドに用事があって。今日はうちに聞きたいことがあるんだよね?」
話を逸らすようにハル子が聞いてきた。率直に聞いてみることにした。
「うん、クラスでハル子が告白されたことが広まってたから、大丈夫かなと思って」
「あー、やっぱりそのことか。女の子の口の軽さは、羽毛並みやね」
ハル子が、はは、と声を出して笑った。
「あ、一応、言っとくね。これ、内緒の話らしいよ、、」
わたしがこっそりと言った仕草で口にすると、ハル子が吹き出した。
「もう、言いたいだけじゃん」
2人して声を出して笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、2人して、しーっと指をたてて静かにしようと合図した。
「それで、どうするか決めたの?」
落ち着いたところで話を戻した。
ハル子は少し困ったような顔をした。
「断ろうかと、思ってる」
「そうなんだ、知り合いじゃないの?」
「ううん、街で何回か一緒に遊んだ間柄ではあるっちゃけど・・。うちは恋愛対象として考えてなかった」
「どうして?」
「現実の学校に通ってる人やったけん。うちには、荷が重いなって」
わたしはその言葉に反応できない。
ハル子が言っている意味が分からなかった。
わたしの雰囲気を察してか、ハル子が言葉を続けた。
「さっちんに聞かれなかったから、あえて言わなかったけど、うちは現実では両足が動かんとよ。やけん、そんなうちと現実で会った時に彼がガッカリされるのが怖い。心に小さな傷が残るような気持ちになるんよ」
言われて理解した。
ハル子のいう荷が重いという意味。彼の思いに応えられないのじゃないかという不安を。
「うちら仮想空間の学校に行ってる子は、大なり小なり問題を抱えてここにいると思ってる。うちもそうだからなんとなく感じてるけど、さっちんもそうでしょ」
わたしの抱える問題。
確かにそのことを学校の誰かに話したことはない。それは、自分から言わない場合は聞かないという暗黙の了解に守られていたから、なのかもしれない。
「うちらは、今、現実に痛みを仮置きすることで現実から目を逸らせてる。その痛みを彼が目の当たりして、現実のうちが幻滅されたらと思うと胸が痛くなるんよ。それなら、いっそ初めから付き合ったりしなければこんな思いをしなくてすむから、、」
ハル子の吐露は、ここで終わった。
わたしは、なんとか返す言葉を、雲を掴むような思いで探してみても空を切るばかりで開いた口からは何も出てこなかった。
「ねえ、さっちん。どう思う?」
ハル子の問いは、わたしならどうするかを聞いているのだろう。
例えば、相手が雪ちゃんならわたしは、彼の気持ちに応えるだろうか。
『荷が重い』
ハル子の言葉がわたしの心に重くのしかかった。
第6話へ
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