「World is Myself」 Side Story 〜歌絵&淳〜6

**第7話**

 初対面は、散々に近いものがあった。
 アニメのセリフを引用した掴みに失敗。
 彼女の負けん気が強い部分を引っ張り上げようとしたが、不審者のように見られてしまった。

「これは時間がかかるかもしれないな」
「いえ、かかっていただきたくないのですが、どうして大人相手だと人心掌握するの余裕なのに13歳の少女に対してそんな感じなんですか?」

 はー、とため息をカナエが溢した。

「青春時代に女性に対して悩む機会が無かったからな。正直、プライベートでの女性の扱いが分からない」

 ぐったりとした仕草をカナエが見せると、淳は両手を振ってあたふたした後に、

「大丈夫だ、相手は所詮中学生女生徒。あの手この手で説得して…」

 いいかけたところに、カナエが顔を近づけた。

「説得、出来るんですか?例えば、私に対してプライベートで誘うことを想定して、話してみてくださいよ」
「分かった。カナエくん、本日12時に開成駅周辺に新たに開店したパスタ屋に、一緒に来てくれないか。もちろん、その時間は仕事扱いとしてカウントしていい。会計も私持ちだ。移動手段もこちらで準備しておこう。想定時間は、約1時間だ。どうだろうか?」
「思いっきり、仕事の誘いじゃないですか!」

 パーンと、淳の頭をカナエが手のひらで叩いた。

「痛いじゃないか」
「ぜんっぜんプライベート感0ですよ。お給料まで頂いたら、もはや、キャバ嬢のアフターみたいになってるじゃないですか」
「しかし、僕の独断でのお願いをしているわけなのだから」
「プライベートなら嫌ならいやといいますよ。女性をプライベートで誘うということはそういうことです。断れることを前提にしながら、いかに相手が一緒にいきたいと思ってもらえるかを考えて話すことが大切なんです!分かりましたか!?」
「う、うむ、理解した」

 まくしたてるように言われて、気圧される淳を横目でみながらカナエは、

「もう、嘘でも普通に誘ってくれてもいいのに…」

 と、聞こえないように愚痴をこぼすのだった。

****

 歌絵の母親の事件について、調べる中でいくつか浮かび上がってきた事実が分かった。

 それは歌絵の母親の死が、歌絵の行動ではなくその後のひき逃げによるものであること。そして、これはテレビでは流れていない情報だが、ひき逃げ犯は父親の不動産業の関係者で、椎山家への恨みからの犯行であったことが分かっている。

 つまり、母親が亡くなったのはこの男により意図して起こされた。
 すでに男は塀の中に入っているため、彼に対してどうこう言うつもりはないが、この事実を実の娘に伝えずにいる父親が気になる。
 理由があるのか、それともただ言いにくいだけなのか。はっきりとさせないと、今の状況は改善されないだろう。

 少なくとも、彼女は今のままでは自分を責め続けているのではないだろうか。1度しか接していないが、彼女はそういう女性だと淳は感じた。

「さて、明日はなんと声をかけようかな」

 この時すでに、歌絵に会いに行くことをワクワクしている淳がいた。

****

 翌日会いに行くと、彼女は白鳥のゾーンで寝ていた。

「全く無防備だな」

 肩を叩いてみるが、全く反応がない。
 昨日会った時も思ったが、中学生にしては整った顔立ちをしている。

 ただ、美しいというよりも幼さが残る可愛らしいと表現する方が近い。

 彼女が1人で悩んでいるとしたら、なんとかしてあげたいと思う。

 歌絵の顔を眺めていると、そんな気持ちが湧いてきた。

**3時間後**

 ポケットの携帯が鳴り止まなくなってきた。
 思ったよりも起きない。
 3時間結局、寝顔見るだけで終わってしまった。

 淳を総理のポジションから引き摺り下ろしたい政党のメンバーが知ると、歓喜して喜びそうな話だ。

 ははは、と苦笑した。
 そろそろ、潮時かと思っていた矢先に、歌絵の意識が戻ってきた。

 歌絵がゆっくりと吸い込まれるように漆黒の瞳をこちらに向ける。

 そして、じーっと不審者を見る目に変わった。見なかったことにするつもりなのか、手元のスケッチブックに白鳥を描き始めた。

「お、描き始めるのかい。じゃあ、その前に今日も5分だけ時間もらっていいかな?」

 淳の言葉に怪訝な表情を見せた歌絵は、

「まさか、私が寝てる間も隣で覗いてたんですかー?」

 察し良く淳に聞いてきた。
 まさにその通りだった。

「何、3時間ほどきみを待っていただけだよ」
「気持ち悪いので早々にお帰りくださいー」
「手厳しいな」

 くすりと笑えた。
 歌絵との会話は、普段よりも自分を曝け出すことが出来て楽しい。

 歌絵は淳から視線を外し、白鳥のスケッチを継続した。

「今日は白鳥か。美しいな、僕も好きだよ」
「そうですねー、思い入れはあります」

 白鳥の話題になったのでオーストラリアにいるブラックスワンの話をすると、興味を持ってくれた。

「一度見てみたいと気はしますね」

 歌絵の言葉に手を差し伸べて、誘いの言葉を口にした。

「なら、一緒に観に行くか?」

 決して、女性を誘うことに慣れているわけではないが、この言葉は自然と口から出た。
 けれど、淳の手を一瞥すると、ぷいっと、歌絵はそっぽを向いた。

「おあいにく様ですー。行くなら、自分でいきます。お金ならありますから」

 それはそうだろうなと、納得しながらも悔しいので意地悪を言っておくことにした。

「だが、そこまで辿り着けるかもわからないだろう」
「本当に、どこまで私のことを知ってるんですかー?怖いんですけどー」

 ぞぞぞ、と後退りされた。
 また、失敗したらしい。

「ははは、また失敗したな。いやはや、女性を口説くのは不慣れでね。職務では、打率10割なんだが」

 職務上、時間的にとっくに危険区域を超えているので撤退することにした。踵を返して歌絵に背を向けた。

「また、明日来るよ」
「来なくていいです。貴方は何者なんですかー?」

 歌絵の言葉に、つい自分のことを聞かれた嬉しさで笑みを浮かべて、淳はカッコつけて口を滑らせた。

「僕は、大統領さ」

 結構な機密事項をさらっと、一般人に漏らした淳は後ほど盗聴していたカナエからしこたま怒られることになった。

****

 何度か会うようになって、淳は歌絵のことが分かるようになってきた。

 歌絵は、言葉の強さの裏に隠れる心の弱さと1人でいることを望みながらも、困っている人がいれば助けようとする意思と周りとは違うというプライドの高さに反して他者よりも優れているとは考えない優しさのあらゆるアンバランスさを同居して成り立っている。

 彼女のことを僕は、1人の女性として美しいと思っている。そして、それゆえに助けてあげたいと感じた。

 通常ならば、その年齢差からあり得ないと一蹴される話だが、2人はそれぞれに、お互いを想うようになっていた。

 雨の中、2人で会った動物園の帰り道。
 淳は歌絵の言葉が反芻していた。

『私は、あなたに期待してしまっているのですよー』

 歌絵の心からの言葉だろう。
 会って間もない淳にさえ、期待を覚えるほどに追い詰められている。

『怖いのです。ここ以外の場所が』

 自宅にさえ、逃げ場所を求められない。

『家族が、親戚が、生徒が、先生が、他人が』

 家族でさえ、心の支えにならない。

『そのすべてが、私にとって恐怖の対象なのですー』

 周り全てが恐怖の対象。
 そんな世界で生きる彼女を救えるのは…。

 リムジンに乗り込んだ淳は、カナエに伝えた。

「これから歌絵の父親の元に向かう。アポイントを頼む」

 淳の凄みを感じたカナエは即座に首を縦に振り、連絡を始めた。

****

 淳が到着すると、既に歌絵の父、音也は応接室に待機していた。事前にカナエが伝えてくれていたからなのかもしれないが、緊張した面持ちで接待用の椅子に浅く腰掛けていた。

 淳の入室に合わせて席を立とうとするのを淳が静止した。

「そのままで大丈夫です。報告と確認とお願いごとがあってお伺いしました」
「はい、なんでしょう」
「明日、娘さんの学校に伺ってテストが終わった後に僕が迎えに行った上で、同行してくれることを約束してくれました。学校に通えるのかは別にせよ、僕に心を許してくれたものと思われます」
「そうなんですね、それは良かった」
「つきましては、お約束していた娘さんと会っていただく件について、明日お願い出来ますでしょうか?」
「え、明日ですか!?急ですね、どうして」
「明日、奥様が亡くなられた公園に行って全てを話すつもりです」
「は…」
「その時、音也様にも来ていただき、話をしていただきたいのです」
「ちょ、ちょっと待ってください」

 淳が流れるように話を進めるのを、音也が右手を前に出して止めた。

「私がお任せしたのは、学校への復帰のはずです。どうして、そのようなお話になるのでしょうか」
「娘さんは、自分のせいで奥様が亡くなったと考えていると思います。きちんと、話をして理解を促して前に進ませてあげるのが大人の役目だと考えます」

 音也はしばらく、腕を組み頭をひねった後、

「いやぁ、今は貴方の方が私よりも娘に信頼されているでしょう。それにわざわざ、辛い記憶を掘り起こすようなことをせずとも、大丈夫で…」
「大丈夫じゃないから言っているのですよ」

 静かな怒気を淳が放ち、音也の言葉を遮った。

「僕は子を持ったことがないから、親の気持ちなんて理解出来ない。だが、何よりも尊重し、大切にするべきなのは未来ある子どもだということは理解しているつもりです」
「それが、我が子じゃないとしてもか…」
「は…」
「仮に自分の子どもではないとしても、愛を与え育てる義務があるのかと聞いているんだ」

 今度は、音也が怒りを露わにした。

「どういうことですか?」
「あの子は、妻がよその男と作った子だ。あの妻を殺害した犯人とな」
「……」

 それは淳も初耳だった。
 一見してただの交通事故だったものが、見え方が変わってくる。
 どうして、音也がずっと娘と接することに躊躇いを持っていたのかも。

「分からんのですよ。愛する妻だが、私を裏切り憎い男と子どもをこさえた女性だ。そうして生まれた子どもに対してどのような感情を持てば良いのか」

 音也もまた、ずっと苦悩してきたのだろう。

「音也さん、僕は貴方の苦悩を理解します。ただ、それでも、貴方にはその苦悩を超えて彼女を子どもとして愛して欲しい。頼みます」

 淳が頭を下げてお願いする。
 この話がきた当初と奇しくも逆の格好となった。

「どうして、あの子の為にそこまでなさるんですか?」
「歌絵さんを好きだからです」
「はい?」
「あの子に真剣な好意を抱いているからこそ、幸せになって欲しいのです」
「本気ですか?」
「僕は、大切なことで冗談を口にしたりしないですね」

 これを聞いた音也が頭を抱えた。

「とんでもない男に依頼を頼んでしまいましたね」

 ははは、と笑顔を見せながら自分から言ってのける淳に音也は、小さくため息をついて、淳に視線を合わせた。

「試しているのか」
「さあ、どうでしょうね。本当に貴方が歌絵さんのことをなんとも思っていないのであれば、こんな何処の馬の骨とも分からない男にでも任せて仕舞えばいいと思います」
「……明日、顔は出そう」
「はい」
「だが、どんな結果になっても私は責任は負えんぞ」
「責は、僕が負います」
「そうか、それでは帰っていただけるかな。職務の途中でね」
「そうですね、失礼致しました」

 淳は席を立ち、頭を下げると部屋を後にした。

****

 淳からの話が終わると、歌絵は言葉を失っているようだった。

 もちろん、淳が歌絵のことを好きなことや音也が口にしていた本当の親ではないということは伏せてはいるが、それでも僕が歌絵を連れ出すことになった経緯は彼女の中でショックだったようだ。

「それでは、これから父がこの場に来るのですか?」
「ああ、こちらから迎えにいって近くで待機してもらっている」
「あ、あの、私、帰りますー」

 逃げようとする歌絵の手を掴んだ。

「椎山くん」
「は、離してください。貴方が思うほど、私たちの間の溝は浅くないんですー」
「落ち着け、僕がいる」
「……!!」

 少しずつ、力が収まっていく。
 そして、ぎゅっと淳の手を握り返して、強く淳の目を睨み返した。

「何かあったら責任取ってもらいますから」

 言い切るときには、公園の入り口へ音也が来ていた。そこから、ここまでは約30mほどだ。

 ゆっくりと歩いて近づいてくる父親を見ながら、歌絵が握る手が強くなるのを淳は感じていた。

 そして、ようやく5mほどの距離を取って音也が立ち止まった。

 2人は沈黙のまま、数分の時が流れた。
 淳が静かに見守っていると、音也がその重い口を開いた。それは、7年ぶりくらいの父から娘に対しての言葉だった。

「知らない人についていっては、ダメだと言っただろう」

 自分から依頼した相手のことを知らない人と表現されたことにツッコミを覚えるところではあったが、間違いなく親が子を心配する言葉だった。

 それは、長い間精神的距離が離れていた2人の間が無くなった瞬間だった。

 言葉を聞いた歌絵は、父親に駆け寄り抱きついた。胸元に顔を埋めて泣きじゃくる歌絵は、

「パパ、ごめんなさい…」

 謝罪の言葉を口にした。

「私、自分がパパの本当の娘じゃないこと。知ってたの」

 その言葉は消え入るようにか細い、消える直前のロウソクのように儚いものだった。

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