「World is Myself」 Side Story 〜歌絵&淳〜3
**第4話**
大好きだったママの瞳を2度と見ることができなくなったのは、私が10歳のとき、今のように夏の残暑が続く秋の入り口の季節だった。
いつものように、学校にママが迎えに来てくれて2人で歩いて帰った。
クラスメイトに馬鹿にされても、全く気にならなかった。だって、彼らに興味なんてなかったし、ママがいればそれで良かった。
その日は、2人で歩いている途中の公園に猫がいるのを見かけた。
三色の毛色がかわいい三毛猫。
私は思わず、ママの手を離してかぶり付くように絵を描き始めた。
そして、その後の記憶は離れた道路でママが血を流して倒れていた。
絵を描いている間の記憶はない。
後に身体の打撲具合から、車に轢かれたのだと分かった。
アスファルトの形に沿って流れる血とほとんど動かない母。口元が僅かにぱくぱくと動いていた。
何度か、名前を呼んで揺らしても反応がなくなった。それが何を意味しているのかを、理解した。私の口から、多分、自分のものとは思えないほど声量が出た。ママと泣き叫ぶ私の声を聞きつけた誰かが、救急車を呼んでくれた。
私がもっと早く助けを呼んでいればママは、死なずに済んだのか。それはわからない。
だけど、この日を境に元々溝があった父との親子関係は最悪なものとなった。
会話がないどころが目も合わせない。
家にいても他人と同居しているような状態だった。
だから、中学校から全寮制の学校にいったけど、結局馴染めずに学校から少し離れた動物園へ逃げ込んだ。
成績は優れていたため、テストを受けることを条件に先生たちからは何も言われなかった。
そうして、自らの殻に逃げ込んで1年5ヶ月近く経つ。
****
歌絵の通っている学校の名前を、桜山大学附属桜林中学校という。
4月の入学時期の桜並木が特徴の中高一貫の学校だ。
全寮制で進学校として有名な学校だ。
そんな中で、学校に来ていない生徒が学年トップというのは、目の上のたんこぶのような存在だろうと歌絵としても自覚はあった。
ただ、絵を描いているとき以外はそれだけの努力もしていたし、何もしていないわけではなかったから自分が納得していればそれでいいと思っていた。
学校側には母のことについて、父親から説明がされているようで、成績さえ良ければ日中、外に出ることを認められた。
そんな歌絵が学校に行くと、必然的に目立つ。クラスメイトなど、明らかにチラチラとこちらを見る姿が目についた。
「ふー…」
少し心臓の鼓動が速くなる。
当初は、保健室でテストを受けたことがあるくらいもっとあせっていたけど、これでも落ち着いたほうだ。
今日学校に来てから、会話を1度もしていない。
そのため、何かあったわけではないが、ドキドキするし落ち着かない。
テストは全教科とも50分のうちの30分もあれば終わる。
だからいつも、窓の外の景色に集中して気持ちを静めるようにしていた。
淳は、必ず来ると約束してくれた。
どうしてこんなにも信頼しているのか、自分でも分からないけど、彼が嘘をつくとは思えなかった。
テストが終わるまで後20分。
いつもなら、終わり次第、即座に寮の自分の個室部屋に帰宅する。
全寮制ながらも、門限さえ守れば外出も可能なのでテストが終わった日は、大体の生徒が外出して羽根を伸ばす。
そのため、テストが終われば外に出ること自体は問題ではない。
果たして、淳が来てくれるのか。
それだけが気がかり、と思っていたら。
いた。
正門の前。
今チラッと覗き込むのが見えた。
いつものようにビシッと決め込んだスーツ姿。
しかも、今日は真っ白のスーツだ。
めちゃくちゃ目立つ。
手になんか持ってる。
あれ、花束?
白がベースの花が綺麗に飾られている花束を右手に持っている。
まるでこれから、告白でもするためにそこにいるかのような装いだ。
あ、警備員さんに話しかけられた。
かくかくしかじかと言った様子で話してる。
警備員さん怪しんでどこかに連絡してる。
そりゃ、あからさまに怪しい。
お巡りさんこの人です!
って、警察に引き渡す勢いで言いたくなる程度には怪しい。
テスト中なのにその姿が滑稽で、笑い出しそうになる。
何故だろう、今日は辛い日の筈なのにそれを忘れてしまいそうだ。
しばらくすると、先生まで出てきて話しをしてる。会話が進むと、何故かみんな笑い始めた。
それから、みんな去っていき残される花束持った不審者。そんな中、遂にテスト終了を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
ちなみにこの学校のテストは、タブレット方式での回答だから、紙媒体で回収することはない。
画面が瞬時に操作不能となり、採点が実施される。
5秒もかからずに終える。
その後、タブレットには全科目と科目ごとの得点、順位が表示される。トップ10名に関しては、その時点で順位まで表示され、クイズ番組のようにも見える。
歌絵は、入学からずっと1番上から名前の位置が変わったことがない。
それを一緒に喜んでくれる存在がいない今となっては、そのこと自体には、あまり興味はない。
タブレットを片付けて、席を立とうとしたその時、
「椎山くーん、きたぞ!どこにいる?」
と、窓の外から教室のどこにいても聞こえそうな声が耳に届いた。気付くと、正門から教室窓に全ての教室を見渡せる場所に淳は威風堂々と立っていた。
窓を閉めて空調を効かせているため、多少の防音効果はあるはずだ。
しかし、それが対して意味を成していないあたり、本当にどこにいるのかを把握するために叫んでいる節がある。
ちなみに椎山という苗字は、1000人近い生徒が在籍しているこの学校の中で、私だけだ。間違っても、他の誰かが名乗り出ることはないだろう。
しおらしく迎えを依頼した昨日の自分を殴りたくなってきた。
ついでに外で腹の底から声を張り上げる淳も殴りたい。
顔の暑さでヤカンが沸いて、タコならゆでダコにでもなりそうなほど、顔が赤くなっているのを歌絵は感じていた。
まるで、昔読んだラブロマンスの物語のヒロインのようだ。
ここで、淳のもとに駆け寄って抱き合えば、物語としては満点だろう。
しかし、そんなお決まりの展開はごめんだ。
周りは怖いモノだらけだ。
何考えているのか、全然わからないし、守ってくれるママはいない。
だけど、あの、馬鹿っぽいけど優しくて見た目はいいのに行動が伴ってない、変な人、淳がいれば逃げずに立ち向かえる。
私は、教室の窓をバシッと勢いよく開けた。
「そんな大きな声を張り上げずとも聞こえてます!学校の迷惑考えてくださいよー。馬鹿な行動しないと死んでしまう病気にでも、かかってるんですかー?」
大声で淳に呼びかける私の姿を見て、クラスメイトが驚愕して息を呑んでいるのが分かる。
学校が始まって以来、殆ど登校したことがないのだからこんなに大きな声を出している姿を見せたのも初めてだった。
歌絵の姿を目にした淳は、幼児のように左手を左右に振りながら、
「椎山くんそこか、迎えに来たぞ」
「見ればわかりますー!お願いですから、少し行動を慎んでくださいー」
歌絵も声を聞いて満足げに手を下ろして、声を出さずにその場に待った。
全く、と一言愚痴をこぼすと、歌絵は窓を閉じた。
視線を教室に戻すと、皆コチラを向いていて、様々な表情を浮かべていた。
思わずビクリと肩を上げて震えたが、このままというわけにはいかず、
「さ、騒がしくして、ごめんなさい。です…」
歌絵は先ほど外に向かって言った声のトーンとは打って変わった消え入るような声量で静かな教室に言葉を落とした。
誰も返答することができないクラスメイトを尻目に歌絵は、教室を後にした。
廊下を駆ける。
もちろん、校則で走るのは禁止されているので先生に見られると注意されるのは必至だけど、悠長に歩いてなんていられないのも理解していただきたい。
2Fから一気に20段ほどの階段を駆け降りる。
靴箱で革靴を取り出して歩きながらつま先を地面に叩いて履くと、外に飛び出した。
息を切らしながら、外に出ると悠然と待つ淳がいた。
やっ、と手を挙げる淳の前に立って、歌絵はぶすーっとした顔をして見せた。
歌絵の言いたいことは十分に伝わったであろうが、それに対して淳はくくく、と笑って歌絵の頭を軽く撫でた。
「申し訳ない。意味はあるから、後で話すよ」
そして、花束を歌絵に手渡すと、行こうかと校門の向こうを促した。
そこには一台のリムジンが停車されていた。
昨日約束したように淳が連れていきたい場所に行くのだろう。
ふー、っと歌絵は呼吸を整えた。
「わかりましたー」
淳の背中を追って、歌絵も車へ向かった。
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