「World Is Myself」第16話(第5章)
**第3幕**
2038年4月11日
「ひゃっほー!!」
コウが楽しそうに、バイクを爆速で乗り回している。速度は200km近く出ていて、暴れるように揺れる本体を見事に乗り回している。
今いる場所は、後に娯楽エリアと呼ばれるようになる最も人が集まる予定の場所だ。様々な施設や山や川など、現実世界で娯楽として利用されている
オブジェクトを設置して、楽しむことに特化したエリアとなっている。
まだ、フィールドには山や学校などの大きなオブジェクトしか設置してないので純粋に荒野のような広い広場を走り回れて気持ち良さそうだ。
「おい、その速度のバイクを乗り回せるのは今だけだからな。サービス稼働後に乗るなよ」
「おっけーおっけー」
生返事で聞いてる気配のないコウを見ながら、ウッドはため息をついた。このバイクを本稼働後にシスターが乗り回して危険物として押収されるのはまた別の話になる。
そんなコウを見守っているのはウッド、カイ、アライの3人だ。
「流石、完成度の高いバイクだね。助かるよ」
「カイや圭司の頼みだからな。俺も一肌脱いでやるよ」
圭司とは、x社社長。つまり、さちやみゆきの父親のことだ。
「これで、ワールド内の移動手段は問題ないな。俺は先に戻る」
「あ、アライ!シスターに結合試験に入れるからワールドの共通設定とオブジェクトの設置を進めていいって伝えてくれるか!」
ログアウト直前のアライにカイが、声をかけた。新井は軽く左手を左右に振って承諾すると、ログアウトボタンに触れてその場を後にした。
研究室に意識を戻したアライは、まずは休憩に入ろうと横になっていたログイン用の機械から身体をもちあげた。ベッドと一体化した機械に横になり、頭にヘッドギアをはめてログインしている。これにより、脳だけでなく全身をスキャンしながら仮想空間へログインが可能だ。そのため、より正確に自身のコピーを仮想空間へ生み出すことが可能となっている。
その辺りの細かい部分に関しては、専門外なので詳しくはわかっていないが、この技術だけでも特許を取れるレベルらしい。
立ち上がったアライが、部屋を見渡すと今は誰もいなかった。
今日はハルカとカナタが用事があって席を外していると聞いている。
そのため、研究室にいるのはシスターだけのはずだ。
シスターはコウに負けないほどの研究の虫で基本的にここにいることが多いはずだ。その彼女がいないということは、多分さちのところだろう。
シスターは、さちのことを目に入れても痛くないほど可愛がっている。
姉妹だから当たり前とも捉えられるが、その可愛がり方は母を超えていた。
部屋を出ると、真っ先にさちのいる部屋へと向かった。
とは言っても、歩いて10mほどでほとんど離れていない。
ドアをノックして、中に入ると、案の定シスターの姿はそこにあった。
2人で何やら、ゲームをして遊んでいるみたいだ。
ファッションを変更することができるARゲームでベースとなる白いボディスーツのようなものを着ると視覚的にゲームをしながら変更することができる。
きゃっきゃっと姉妹らしく、2人して笑顔で遊んでいる。
アライには、心許せる家族がいなかったため、羨ましくも感じていた。
「シスター」
声をかけづらいと感じるものもいるだろうが、アライには関係ない。特にこれは開発に関することだ。当然のように声をかけた。
「何?」
さちの頭に軽く手を触れて、大丈夫とアピールするとシスターがこちらに冷静な表情で視線を向けた。
「結合試験に進めることになった。権限周りやオブジェクト関連の最終調整をしてくれ」
「わかった」
「みゆき、いく?」
「うん、ちょっと待っててね」
「うん」
さちは、元気な返事をして今やっていたゲームの片付けを始めた。
1人で続ける気はないという意味だろう。
先に部屋の外に出ていたアライは、シスターを待ったのちに2人で移動を始めた。
「なあ」
「はい」
アライの声かけにシスターが返事をした。
相変わらず、妹の前以外は冷静で端的な返答をする。
「初めて会った時、チンチクリンとか言って悪かったな。今は頼りにしている」
アライは、ずっと気にしていたわけではなかった。しかし、妹の相手をしながら大人顔負けの開発技術を見せるシスターに対して少なからず尊敬の念を抱いていた。
そんなアライの言葉を受けたシスターは、普段は変化を見せない表情に驚きを見せた。目を見開き、口があいている。
「え、えっと、いえ、私も気にしていないので、大丈夫です。こちらこそ、いつもご迷惑をおかけして…」
アライは普段大人顔負けに会話をする姿しか見せないから忘れかけていた。この子はまだ9歳なのだ。大人の男性に謝罪されるなんて経験は、初めてだろう。
「ちっ、悪い、そんな顔をさせるつもりはなかった。俺はお前を認めてる。そのことを伝えたかっただけだ」
「あ、ありがとうございます。こちらこそ、普段から生意気な口を聞いてすみません」
「んなことねえよ。誰もがお前のことを認めてる。胸を張れ」
あの母親が常にそばにいるんだ。もしかしたら、シスターは自己肯定感が低いのかもしれない。アライは、シスターに対する認識を改めることにした。研究室に到着する前に、アライはシスターから離れて別の方向に歩き始めた。
「どこに行くんですか?」
いつもよりも、柔らかい雰囲気の言葉でシスターがアライに聞いてきた。
「味噌汁休憩だよ」
「あ、はい。いってらっしゃい」
まるで家族のような言い方で笑いかけ、手をふるシスターに軽く手を上げて振り返し後にした。アライは、幼い頃に母親に捨てられたため、家族の温もりを知らないで育った人間だ。だからこそ、家族の温もりを感じることには弱いのだ。
「くそ、もう少し、警戒心もてよな。俺みたいな人間の言葉ひとつであんな顔見せやがって」
本人には、伝えることができない言葉を冷や水のように自分に浴びせて、少しざわつく胸を抑えた。アライにとって、家族は施設にいた友人や施設長だけだった。
今思えば、当時1番仲の良かった同い年の女の子とシスターは似ているかもしれないと、アライは思い出していた。
普段は表情を出さないのに、ふと拍子に見せる笑顔が印象的だった。シスターの笑顔を見せられて感傷的になったのかもしれない。
休憩室に入ると自分の黒い柄のないカップを取り出して備え付けのサーバーへ設置して、味噌汁を選択した。
家族は、アライにとっていわば禁句に近い言葉だったが、最近は少し変わってきた。それは、あの姉妹の姿を見ているからだろう。
家族も悪くないのかもしれない。
アライの口からふっと一息、ため息が溢れた。
2040年11月6日
その日は梅雨の時期でもないのに、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。研究室内に窓はなく防音設備が整っているため、帰り道の心配をする程度であまり気にしてはいなかった。
3歳を超える頃には、さちは研究室に来ないで自宅で使用人と家政婦が相手をすることになった。
自然と会うことも無くなり、あまり話題にもしなくなっていた。そんな折にその名前を耳にしたのは、さちたちの家政婦がなんとか平静を取り繕いながらコウへ電話の取次ぎを依頼する電話だった。
用件を聞く必要があった為、そこで聞いた話では、さちが心臓の病気にかかって倒れたらしい。
正直全然ピンとこなくて、危機感を感じなかったが、その日、緊急で集められた仮想空間での会議でことの重大さが分かった。
集まったのは、VIWを一望できる大きな木の頂上の全面が木で作られたペントハウスのような場所だった。
コウの遊び心で作られたその場所は、いわば秘密基地のようにワールドの地図には載せていない場所でアライたちが集まるときに利用することが多い場所だった。
その場所に開発メンバー7人が集まっていた。話は伝わっていた為、察しがついているものは多かっただろう。メンバーが集まったことを確認したところでコウが口を開いた。
「さちが、希少疾患と呼ばれる症例の少ない原因不明の心臓病を患った。医者の見立てでは、もって10年らしい」
結論から言ってしまうとなんと短いことだろう。たったそれだけで、さちの未来を言葉で表してしまった。
「VIWは公開まで1年を切った。すでにαテストがスタートし、認知も広がっている。完成に向かっていて、既にテスト的に新たなワールドを開発しているユーザーを現れている。自然とこのまま、本稼働に向かうだろう」
その場にいる誰もが、コウの言葉に耳を傾け、そしてその言葉を受け入れる準備をしていた。例えば、開発チームからコウが抜けてさちの側にずっといる選択したとしても、このまま続けていけるだけの覚悟はあった。
しかし、コウの口から出た言葉を予想を裏切るものだった。
「だが、私にはまだ開発者として母親としてやり残したことがある。ゆえにこのまま開発を続ける。開発の中でさちを助ける手段を探す」
「おいおい、本気かよ。私たちは科学者であって医者じゃないんだぞ」
「その医者が匙を投げたんだ。科学でその答えを探す。私が娘を助ける」
「具体的にどうする?」
カイがみんなの気持ちを代弁して質問してくれている。重要なのは、どうするかだ。
「私はこれから3つの研究を進める。1つ目は、細胞レベルまで完全コピーしたアバターの作成。2つ目は、個人の思考や行動をもとに作成したアバターを未来の姿に成長させる技術。3つ目は、時間の流れとともにアバターを成長させる技術だ。研究に集中するから、取りまとめはカイにお願いしたい。研究成果は共有するから、上手く運営に活かしてくれ」
「それはいいが、そんなこと可能なのか。前代未聞だぞ」
「出来るさ、私を誰だと思っている」
自信たっぷりの表情に誰もが魅了される。
これまでもそうだった。コウの言葉には、それだけの力がある。
「それでその技術でどうやって、さちちゃんを救う?」
「単純だ。さちと同じ身体を持ったアバターを量産して、世界のあらゆる医療技術、薬、未来に予想されるものも含んで試す」
「待て!それは、倫理的に問題だろう。アバターとはいえ、数多の自分の娘を殺すことになるぞ」
「みなまで言う必要あるか?倫理感を守れば、さちが守れるならそうするさ」
みんな一様に口をつくんでしまった。
コウの覚悟は本物だった。こうなってしまったら、きっと止まらない。
「シスターにも1つ頼みがある。ニライカナイの南西に研究用のエリアを増設してくれ。内装は後で詳細は伝える」
「……分かった」
シスターの心境も複雑なものだろう。
あまり表情に出さない子だが、悲痛な面持ちをしている。今にも泣き出してしまいそうな表情にも見える。
「みんな、悪いな。あとは頼む」
言葉通りその後のことを引き継いだコウは、わずか1年足らずで1つ目の研究を成功させた。
その研究を活かして、亡くなった人をアバターで再現する事業をスタートさせた。
さらにそこから、4年後ついに2つ目の研究を完成させた。
2045年10月20日
アイが誕生した。
正確には当時、まだ名づけるわけにはいかなかった為、その名で呼んではいなかった。
さちの知識と知能を持ったその子は、あたかも自分がさちであるかのように振る舞い、行動していた。
唯一違うのは、年齢がさちよりも10歳は年上であること。本人の記憶は、それまでの行動や思考パターンから擬似的に作られたものなので時々綻びや違和感があるみたいだが、気にはしていないようだった。
「ねー、アライさん。今日は検査の日でしょ。そろそろいこー」
「はいはい」
アライはさち(アイ)に促されて、家から外に出た。そこはニライカナイの中にある居住区の住宅。
さち(アイ)と管理役として任されたアライに与えられた家だった。本来であればハルカやカナタが適任なのだろう。しかし、2人はさちと仲が良かったこともあり、相手をするのが辛いと拒否した。
自然とあまり関わりがなかったアライがやることになった。
今日は研究エリアへ連れて行き、検査の日だ。定期的に連れて行って、経過観察をしている。
そもそも、未来の姿のさちを作り出したのは、病気が治る可能性を確認する為らしく今はその確認をしている真っ最中だ。
VIWはサービスが本稼働し、脚光を浴びている。カイ、ウッド、ハルカとカナタは、それぞれバタバタしており、研究エリアに行っているのはアライとシスターくらいだ。
到着し、いつものように研究用のアバターへさち(アイ)を渡して、自分は研究室へ向かう。
そこには、いつものように8のモニターを操り、無表情で視線と手を動かすコウがいた。
「きたぞ」
「ああ、アライ。いつもすまない」
アライが来ると、くるりとこちらを振り返って笑顔を見せる。以前までのような研究が楽しいという雰囲気とは異なるどこか機械のような冷たい印象だった。
普段では、この程度の会話で終わるが、今日は違った。
「被検体αロットi番のことだけど、処分することにしたよ」
コウの言っている被検体とは、さち(アイ)のことだ。彼女は、ロット単位で毎回アルファベットの数だけアバターを生成しているため、そのような、呼び方をしている。
そして、ここまでの実験で生き残ったのは、1人だけだ。
飄々と笑顔で言ってのけるコウに狂気めいたものを感じる。
「おい、ようやく生き残ったアバターが生まれてその可能性を調査してたんじゃないのかよ」
普段感情の起伏が少ないアライも看過できず声を荒げた。
「調査は終わった。だが、彼女が示した可能性は使えなかった。だから、リスクを考えて処分する。アライも助かるんじゃないか。今後、彼女と暮らすことで生まれるリスクや制約を考えれば、妥当な判断だと思うが」
アライは、コウの目を見て気づいてしまう。
コウの感情は、あえて彼女たち、作られたアバターを感情を持たない人形として扱うことでなんとか保とうとしているのかもしれない。
だからこそ、彼女が下す判断も妥当なのだろう。だけど、
「ああ、お前の判断は正しいんだろうさ。でもな、お前の判断でも従えねえよ。例え生み出された命だとしても、大人の都合を子どもに押し付けて責任から逃れようとするんじゃねえよ。今のお前に言っても、分からないかもしれないけどな」
コウは、変わらず笑顔を見せたまま何も反論もしなかった。
「じゃあな、アイツは連れて帰るよ。ここにも2度と来ない。ハルカたちにも伝えとく」
手を振り、部屋を後にする。
残されたコウに視線を送ったが、何も言わずにただ再びモニターに視線を戻していた。
来た道を引き返すように廊下を歩いていると、ちょうどさち(アイ)が出てきた。
「アライさん、終わったよ!帰ろう」
さち(アイ)が元気よく駆け寄ってきた。
「ああ」
「どうしたの?元気ないね」
顔を覗き込むさち(アイ)の顔を見て、アライは決心を固めた。
「さち、今日大事な話がある。夜は家にいろ」
「うん、別に外に出る気もないし、大丈夫だよ」
その日の夜、俺は全てを話した。
号泣するさち(アイ)に謝罪して、アライは新しい名前を与えた。
それは彼女を示すαロットi番からとって、アイ。そして、アライの名字をつけて新井 愛。
それから、5年。
アライは、現実と仮想空間を行き来しながら、アイと生活を共にして家族として生きていた。
****
アライの話が一通り終わり、その場にいた全員が言葉を失っていた。
「ニライカナイは、当初から人が暮らすことを想定したような作りになっていたが、元の構想では、ここまで大掛かりになんでも設置する予定じゃなかった。さちが暮らすことを想定したのかもしれない」
「そうですか…」
「俺が知っているのは、これで全部だ。その後、コウがどうしているのかは聞いていない」
「分かりました…、その、シスターは姉なんですね」
「ああ、それは間違いない。知っているのか」
「はい、ずっと、私を助けてくれていた人です」
「過保護なアイツらしいな。お前のことを近くで見守りたかったんだろ」
どうして、ニライカナイに近寄らせたくなかったのか。色々と分かってきた気がする。
「ありがとうございました…、情報が多くて一度整理したいと思います」
「そうだろうな、また、話したいことがあったら来るといい」
「はい…」
「すみません、言葉を挟んでもいいですか?」
歌絵やコウさんが口をつぐむ中で、スノウちゃんだけは言葉を口にした。
「ああ、なんだ?」
「研究エリアへの行き方は、貴方ならご存知なのですか?」
「いや、以前まで使っていたやり方は中からの許可がないとダメだった。最近、カイが連絡を取ろうとしても返事がないらしいから無理だろうな」
「分かりました、他の手段を探します」
それだけ口にすると、会話を終わらせた。自然とこの場はお開きとなり、みな部屋から出て行った。その中でアイに手を掴まれて、部屋に留まるように促された。
「座って」
改めて、先ほどのソファに腰を下ろした。
「いままで、アライさんにも言ってなかったことが1つある。それは、私が生き残った理由。貴方が生き残る可能性。私はそれを、当時研究用のアバターから聞いたの」
「教えて…ください」
本当は、頭なんてパンクに近かった。
でも、この機会を逃してはいけない。
すると、愛さんは自分の心臓を指さした。
「心臓移植。貴方のお姉さん、みゆきさんの心臓を移植する」
「……」
ああ、神様って本当に意地悪だ。
「わたしは…、貴方を認めない。認めてしまったら…、わたしは、」
「うん、それでいいよ。分かるよ、だって形はどうあれ、私は貴方から生まれたんだから」
「うう…」
愛を責めても意味がないことは分かっているし、事実も変わらない。でも、最後の希望の形が絶望だなんて辛すぎる。
その後、合流したみんなと今日は遅いから、改めて集まって話すことにしたけど、ずっと意識が定まっていなかった。
ニライカナイ、母さん、姉ちゃん、シスター…。
それら全部が点と線で繋がって、見えた形がこんな結論なら見ないほうが良かったのだろうか。
私は、何のために生きたいのだろう。
例えば、お姉ちゃんの命を貰っても生きたい?
ぐるぐると渦巻く思考に呑まれて、その日は眠ることができなかった。
17話に続く
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