復興シンドローム【2015/05/05~】⑭

午前中の日差しが強くなってきた。警備員年長の御大でも日焼け止めクリームは必須だ。山側からすらっと伸びる道に立ち、6時間照らされて、その日の業務を終える。そんなルーティンワークもだいぶ板についてきた。クレーム処理も日常の一部に埋め込まれ、何の感情も湧きはしない。波風が立たぬまま着々と日銭を稼いでいる。変わりつつあるのはここの被災者に対する考え方ぐらいだろうか。そう、警備員でも除染作業員でも多からず少なからず国からのお金を給与として戴いている。東京電力も国から援助を受けている。被災者から見れば同じ穴の狢なのだろう。通行証確認で地元住民だと分かると少し嫌な気分になる。そう、彼らは『被災者』という玉座からはるか下の自分たちを見下ろしている。少しでも気分を損ねようものなら

『名を名乗れ!』

『誰だ貴様は!』

『原発事故で金もらいやがって!!』


と、レクサスの中から怒鳴りつける。

あぁ、これが本当の原発事故の歪みなのだろうか。どちらが正しいのか分からなくなる。そう、彼らは本当は被害者。でも、それは全生活で何をしても許されるという意味ではないはずなのに。彼らはその玉座を隠そうともしない。むしろ見せつけながら、優越感に浸るかのように振舞うのだ。

お盆・彼岸・年末年始・大型連休になると、彼らは避難地から実家の様子を見にやってくる。お墓の手入れをしにやってくる。大方のトラブルはその日に起こるのだ。


「しょうがないよ。気にすんな。俺らは日雇いのようなものだから」

御大が自分に声をかけるから、自分も素直に切り返した。

「そうはいっても自分も福島県民ですし……」

少しうつむきながら、御大が重そうな口をまた開く。

「事故があって俺らがおる。それは本当のことだからな。言われても仕方がないんだ。忘れちまえ」

「……それでも、自分らは働いて金稼いでいるのに……」

「それでいいじゃねぇか。あまり深く考えるな」

会話はそこで終わった。帰りの車の中でいろいろ考えていた。ゴールデンウィークが終わり、ありとあらゆる罵声が飛び交った。僕らは疲弊しきっていてきっと正常な判断ができないだけなのかもしれない。

ぼーっと眠りと現実の狭間を行ったり来たりしながらふと頭をよぎったのは、

「震災があって、人がたくさん亡くなって、家族がバラバラになったり、家に帰れない人がでてきて……彼らは可哀そうだからある程度のわがままは許容してあげるのが当然だ……果たしてそれが本当に当たり前のことなのだろうか」

疑問の種は大きく大きく膨らんで、頭の中で大部分をこの問題が占拠していくようになっていった。

休日、パチンコ屋に行くとどこから来たのか大勢の客で賑わう。ネットニュースではパチンコ遊戯人口は減少の一途をたどる。パチンコ屋も倒産し、店舗数も減少の一途をたどっている。

しかし、ここはそんな世間の様相とはまるで正反対。車のナンバーを見ると日本各地からここにきているようだ。高齢者からヤカラまでありとあらゆる人々が時間の消費に向かってくる。

出稼ぎ作業員が休日の時間を利用して遊びに来る。

老人たちが休日の時間を利用して遊びに来る。

そして自分も休日を利用して遊びに来る。


そう、当たり前のことが偶然にも重なってここは活況。

自分の中でもやもやしていた何かがここで弾けた。

「結局は金は流れていくもので、名前なんか書いていない。被災地で稼いだ金も保証金で儲けた金もみんなどこかに流れていくものだ。どう使おうが稼いだ者の自由。被災地で金を稼ごうが、原発事故で金儲けをしてようが、労働の対価であって誰に文句を言われる筋合いでもない。だから、彼らに迎合する必要なんてない。被災者だって税金で飯食わせてもらっているだけじゃないか」

自分の中で価値観の逆転がほんの一瞬で起こってしまった。



それがいかに間違っているかを心の奥そこでは知っていたけれども。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》