復興シンドローム【2014/12/1~】⑤
年も押し迫った12月後半。隊員さんの中には遠くの故郷に思いを馳せる人もチラホラ。
年末年始に休みを取って数日帰郷出来るのは運が良かった人だけで、大半は同じように帰還困難区域や居住制限区域へと夜明け前に向かっていく。そんななか、一人の老隊員さんと仲良くなった。自分の親代わりのようなもので、色々教えてもらったり、世話をして貰ったりしていた。その老隊員Nさんは明け方、車の中でふと声をかけた。
「正月、どうすんの?」
素っ頓狂に自分は答えた。
「ん??いえ、ボクは普通に勤務しますよ。ここ地元なんで」
「実家、帰んねぇの?」
「はい、帰りません。もう自分は天涯孤独だと思っているので」
「……そうかぁ……」
少し寂しげな顔をして、俯くと彼は話し始めた。
「俺はなぁ、死んだ女房に怒られるから、帰るんだぁ。墓掃除もあるしなぁ。金稼ぎもいい加減にしないと女房に怒られちまう」
「皆さん、色んな事情がおありなんですね」
「自分の工場経営してたんだけど、潰しちまったからなぁ......今は年金代わりにこの仕事だよ。みっともなくて人には言えないけどなあ」
彼の目元がどこか死期を悟っているかのような物悲しさが、彼の人生をなぞっているかのようにゆっくりとボクに自分語りを始めた。
うんうんと頷くふりをして、この話の終わりの糸口を探しているのだが、終わる気配がない。
「......聞いてくれてありがとな」
聞き流し程度に聞いていたが、本当に色々な人生があるものだ。この震災で出来た仕事に飛びつく人々の人生模様は本当にもの悲しい。莫大な借金を背負って、妻に先立たれた彼はこの仕事にたどり着くしかなかったのだろう。さもなくば生活保護だったらしい。しかし、彼はそのときに
「生活保護になるくらいだったら、女房の所に行くよ……」
と言っていた。それが彼の最後のプライドなのだろう。その言葉を発したときの彼の目は鋭かった。
「福島復興のため」とか、「東北の復興のため」とか、この会社の面接の時には誰もが公明正大に宣ったであろう美辞麗句は実際の姿とはかけ離れたものであった。それぞれの生活にはここの収入が不可欠だったのである。放射能と隣り合ったこの仕事が。「危険手当」「帰還困難区域」「居住制限区域」「原発事故」そして……「福島県」というキーワードが彼らを吸い寄せたのだ。
工場をつぶし、妻を亡くし、そして莫大な借金だけが残った70代の彼はここを拠り所として生きている。今日もまた午前4時に寒空の下、背中を丸めて、彼は現場に向かう。
赤ラークの煙が吐息と混ざって、煌々と灯る街灯へと消えていく。
一度聞くと、『可哀想』の一言で片づけられてしまいそうな話だが、幾重にも重ねられた重厚で鈍重な絶望感の中、彼は力強く生きている。
幸か不幸か、震災は彼にとって不幸中の幸いだったのかもしれない。こうやって帰還困難区域の仕事を得ることができた。いや、僕らと知り合うことができたのだから……。
心にぽっかりと空いたガランドウノ空洞を埋めるようにボクらは他愛もない話に華を咲かせ続けた。冷たい世間の風を背中で受けながら。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》