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とある朝のとある猫

吾輩は猫である。とはいっても、昔からではない。そう、あれは先ほどの出来事である。今朝、いつものように出勤しようと起きたら、自分が猫になっていたのである。まだ頭の中が混乱しているが、目覚めたら、見慣れた部屋が全く別の空間のように映るものだから、あわてて手鏡を見ようとしたんだ。しかし、鏡の取っ手の部分をなかなか握れない。そう、私の手はもっちりとした肉球の手になっていたのである。顔を触ると、どこも毛むくじゃら。髭のようなザラザラ感はない。どこかふわっとした触り心地がなんとなく気持ちいい。ベッドにあった手鏡を上からのぞき込むと、そこには何の変哲もない三毛猫が写っていた。飛び上がるほど驚いたが、ものの数分で落ち着いてしまった。自分にとって「猫になる」ということは、それほどの絶望感に押しつぶされるような出来事ではなかったのかもしれない。 
さて、どうして私はこんな姿になったのか。山月記のように人の世の中に疲れたからなのだろうか。もしそうであるならば、ある種の人間不信といったところだろうか。いきなり猫になってしまう病気。そう、この病気に名前はまだない。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》