震災クロニクル4/6~4/10(40)

 灯油販売の日は前もってネットに公開された。生涯学習センターに行くと、やはり長蛇の列ができていた。数量制限があったため、18リットルのポリタンク一つ分だけの販売だ。自分は一人暮らしなので十分すぎる量だ。当日は調理パンの配布もされており、自分もそれを戴いた。

「出来るだけ早く食べてくださいね」

賞味期限を見ると、数日過ぎていた。まぁ、仕方がないだろう。そこまで贅沢は言うまい。自分はそのPASCOのパンを数個もらい、灯油を積んで、アパートに戻った。

PASCOのパンかぁ……

やたらとその会社名が記憶に残っていた。



そうだった!

3/11の夜、一番初めに来た支援物資のトレーラー。あの愛想の悪い運転手が運んできた食べ物はほとんどがPASCOのパンだった。その記憶が自分の記憶に残っていた。なんでこんなにたくさんのパンを、しかもいち早く僕らの元へと届けてくれたのだろう。

(このことは数カ月後じっくりと調べた。この謎解きは自分の興味というよりは日本の歴史を正しく知るために。その結果は言いません。)


賞味期限なんて意味がない日付なんだろう、きっと。ただただありがたく

「一食分の食費がういた」

などと、自分の財布の心配をしながら、その日は悠然と暮れていった。自衛隊車両が街中を巡回しながら、僕らの生活を見張っている。いや、見守っているのか。しかし、歩道を歩く人疎らで、白マスクの集団が、生涯学習センターから出ていく。その異様な光景にカルト的な奇妙さを感じながら、すぐそこに迫った危機的な状況と、現実味を帯びた「死」を枕にして僕はこの街にいる。

 夕焼けに映える自衛隊車両は悠々自適に道路を闊歩する。僕らは生きるために右往左往する。どうしようもない末期的なこの状況を見ながら、震災前を夢見て。

 やたらと暗い夜はすぐ目の前。

近代以前の静けさのような、沈黙の中。原発の状況は刻一刻と変わる。毎日のニュースがそれを克明に伝えている……と言えるのか?


武田教授のホームページを見ながら、メディアへの不信感は積もっていった。


本当の状況はもっと深刻なものであることは間違いない。

これはここに住んでいる人間の一部かもしれないが、確かに感じていた。

「もう大丈夫です。比較的安定しています。」


と言うアナウンサーはマスクをしているので、僕らには説得力ゼロなのは言うまでもない。状況を確認しに来た国会議員はフルアーマーのロボットのような恰好。それに対応する市役所の職員は平服でマスク姿。




何もかも嘘で塗り固められていた。しかも、ウソの塗装の仕方が荒くて、そこら中から僕らに真実を見せてくれた。なんて間抜けな政府とメディア。


そんな彼らの行動が僕に真実を見据える目を開かせてくれたんだ。



最大限の皮肉ではあるけれども。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》