震災クロニクル8/16~30(50)

震災があって初めての盆は人の欲がむき出しになった状態で、突風の如く過ぎ去っていった。それぞれの思惑が互いに角を突き合わせ、互いが闘争状態に。

ホップズの世界観がそのまま福島に現れたような……とにかく小売店は売り上げ好調らしい。
ただ、従業員不足らしく、24時間営業ではないコンビニが目立つ。確かに震災後、電力に対する節約が多くの市民権を得ていた。

真夏の救急車は毎日、町中を駆け回り、仮設住宅へと次々に吸い込まれていった。

苛烈な太陽が被災した街を照らす。同じくギラギラした欲望が隠れもせず至るところに見える。

なんとも浅ましくもさもしい光景だろう。僕は半歩後ろに下がって、冷ややかな目で見ている。

高圧洗浄機で学校の除染が始まった。20キロ~30キロ圏内での学校再開が確定らしい。二学期から本校舎に戻る。察するに多くの議論と反対があったのだろう。除染しているところに数台のカメラや記者らしい人が数人、黙ったまま様子を見ている。

またこれが記事になる。そして多くの物議を呼ぶのだろう。数日後の未来が手に取るようにわかった。

今は30キロ圏外の学校にいくつもの学校の生徒が集まっている。朝になると何台ものバスが生徒を乗せて、一つの学校に向かう。

一時的な集団疎開……

戦時中のような光景のように思えてならなかった、戦争を体験したことはないのだが。

学校にいるときだけ30キロ圏外に向かおうが、授業が終われば、またこの区域に戻ってくる。こんなことで、いったいどれだけの被爆が避けられるのだろう。はっきり言ってあまり意味がないように思われる。いっそのこと区域外に家族ごと引っ越した方がよっぽど安全だと思う。

「安全だ」とは言いながら、学校関係は30キロ圏外。いったい何が安全なのか。実際に起こっていることと、話している内容がまったくリンクしない。

つじつまが合わないことだらけ。

そんな不安をつかの間の好景気が蓋をした。
とにかく浮き足だった活気がこの街の不安に重くのしかかり、大切な何かを僕らから遠ざけている。

それは薄々とではあるが、確かに気づいていた。

すると、何処からともなく……
「東京電力仮払いからも市県民税をとる。」
との噂が周りからあがってきた。これにはさすがに……。

しかし、仮払いや義援金が給付された際に真っ先に生活保護を打ち切ったこの街ならありえる……。

少し真実を確認したくなり、電話をとった。しかし、なかなか市役所に繋がらない。多方面から多くの電話を受けているのだろう。

…………とにかく今は何をしなければならないのかを理解しなければ。

颯爽とマスクをつけ、僕はまたこの街の中にまぎれていった。
半袖とジーンズ。そしてマスクの組み合わせがどこかこの街の異常さを写し出していた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》