復興シンドローム【2014/11/01~】①
あれから三年……。
あの震災から3年が経った。僕はまだ福島にいる。ここに愛着があるわけではない。ただ向かうところがないからここに立ち尽くすしかなかった。震災から変わったことと言えば、震災バブルともいうべき好景気だ。街中には新しい居酒屋やホテルができた。仮設住宅の作りで、明らかに避難用の建物を図々しくも「ホテル」と名乗るところもある。多くの人の往来があり、街中は風変わりしたのかもしれない。ボクはそこに気づく暇なく、今日も午前4時に家を出る。
街中のホテルの駐車場に集合。ガラスバッチをもって、各車両に乗り込む。「○○ちゃん!元気かい?」
70代の元気なおじさんが自分の肩をたたく。
「はい。早起きは慣れないですけどねww」
苦笑いを浮かべながら、運転席に座る。
今から、ボクたちは帰還困難区域と居住制限区域の狭間に向かう。そこで通行証のチェックをする警備員が今の仕事だ。勿論放射線手帳を持ち、数カ月ごとに採血と健康診断を受ける。どのくらいの線量をうけたかは診断するごとに放射線手帳に記載される。除染作業員とは比べ物にならないが、自分たちも少なからず被爆しているのである。
危険手当が出るため、自分だけが地元民で、他の隊員は様々な地方から出稼ぎ労働者だ。会社でホテルの部屋を確保して、そこに住んでいる。自分だけはアパートから出勤するため、会社にとってはまことに都合に良い労働者なのだろう。自分はここにいつまでいるのか分からないが、少なくとも今は居心地が良かった。
車窓は次第に荒れ地が目立ち始め、やがて光の集合体に車が引き寄せられていく。ここが最後のコンビニだ。ここで朝食と昼食を確保しないと帰ってくるまで何も飲み食いできない。車から大勢が降りるとコンビニに入る。
中はまるでライブ会場のような人だかり。みんな復興関係の作業員だ。2つのレジがフル稼働しても長蛇の列だ。外はまだ暗い午前5時前だというのに、ここは活況だ。自分もおにぎりとパックジュースを買う。
しばらくして車に乗り込むと、他の隊員も続々と買い物を終えて乗り込んでくる。暗闇の中数台の車がコンビニを出る。大型車や作業車も次々とコンビニの駐車場から飛び出していく。向かう方向は同じ。
あの震災があった町のごく近くだ。自分の勤務地は原発事故地から直線距離数キロ。
廃れた町が徐々に色濃くなってきた。枯草の生い茂った線路。廃屋とブルーシートを屋根にかけた家があちこちに見える。きっと応急処置をしたまま避難を強いられたのだろう。
寂れた家。
割れたガラス。
そこら中にバリケード。
そして、放置された自転車と埃をかぶった車……。
交差点には死んだ信号。そして線量モニタ。
山に向かって車を走らせると、大きなバリケードが見える。
「ここより帰還困難区域です。」
大きな立て看板が薄明りの中近づいてくると今日も仕事が始まる。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》