震災クロニクル【2012/7/20~】(63)
7月下旬になり、震災の鎮魂のため慰霊名目のイベントが開催されていた。注目度も高く、心なしか震災前よりも他県からのギャラリーが多く集まっているようだ。震災を機に原発近くの街として大々的にPRしていたため、全国からの注目も一入だ。皮肉な話である。悲劇的なあの出来事がきっかけで多くの注目を浴び、地元民のみぞ知るイベントが全国的に報じられる一大イベントとして成長したのだ。震災の初年度はさすがに開催されなかったが、今年は開催するらしい。街中に装飾が施され、震災前はいい加減であった駐車場の整備や送迎バスがきっちりと整えられた。集客が見込めれば、そこから多くのお金が入ってくる。市としては開催にこぎつけ、経済効果を狙っているのだろう。まぁ、震災の鎮魂を銘打っているだけあって、もう少し厳かにとは思っているのだが、どうもそうはいかないようである。どこでもどんちゃん騒ぎ、震災後減少した飲み屋は大繁盛で、人々の熱気も冷めやらぬ間にそのイベントは幕を閉じた。多くのマスコミが震災の復興シンボルとしてこのイベントを盛り上げた。そのお祭り騒ぎの陰で何千、何万にも及ぶ仮設住宅が街の至る所に立ち並ぶ。そのコントラストに悲哀以上の何かを感じざるを得なかった。
「素直に復興を喜べないなんてね」
批判的な目で異常な熱気を見るとこんな意見が返ってくる。
「復興再建→福幸再見」と漢字を変えたTシャツが印象に残る。この頃だっただろうか。こんな文字を街中で見かけるようになったのは。
みんな少しずつ新しい日常を歩み始めている。それは昔のあの日あのときを取り戻しているわけではない。震災後の毎日を日々アップデートして環境に適応する日常を少しずつ取り戻しているだけなのだ。
再建ではない。勿論「再見」でもない。新しい日常を「創建」しているのだ。マスク、洗濯物の部屋干し、そして水の持ち歩き。どれもが過去になかった情景。
そして、校庭の一角には地下に汚染土の袋が埋められている。これも新しい日常だろう。
そう、コロナの以前にも「新しい日常」「新たな生活様式」は作られていたのである。
お盆になり帰省ラッシュはない。静かな田舎の盆がゆっくりと過ぎる。灯籠が仮設住宅を彩り、先祖の御霊をお迎えしているのだ。ご先祖様もさぞびっくりするだろう。昨年よりは落ち着いたが、すきま風がする仮設住宅で1年以上過ごした彼らに心の安らぎはない。仮設住宅の使用期限は2年。あと数ヶ月・・・・・・仕事も先行きも暗雲の中。どうやって生きていけばいいのか。東電の賠償がなければ生活もままならない。保険料免除、医療費免除がこの街と住民を縛り付ける。いや、足枷のようなものだ。強制的に繋がれているここでの生活は絶えられない。だが、税制の優遇で辛うじて僕らをつなぎ止めている。いつまで続くか分からない甘い蜜の味を覚えた人はどうやって世間の荒波を乗り越えるというのだ。いや、むしろ乗り越えさせないようにしているのだろうか。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》