震災クロニクル3/15⑳

15日。その日は曇っていた。鈍重な鉛の空に重くのしかかられた日が始まった。

7時に施設に向かうと、タイミングよく二人のスタッフが来ていた。20代の男性スタッフが2人。自分を含めると男が三人だけ施設に出勤していた。というよりも、もはやスタッフがこのくらいしかいないのだろう。とりあえず鍵を開けると、事務所に入った。その場の空気が明るくなることは決してなかった。

テレビでは相変わらず福島第一原発の状況を逐一伝えている。良い情報なんて1つもない。見ているだけで避難を脅迫されているようだ。その場の空気はますます重くなる。だが、僕らはそれを見ざるを得ない。現実を直視しなければならない。

8時前、市役所の職員が1人僕らのご飯を持って入ってきた。塩おにぎりが数個。

ありがたい。その職員は50代の男性だが、ゆっくりと事務所に腰を下ろして低いトーンで言葉をこぼし始めた。

「君たちはもうここにいない方がいいのかもしれない」

絶句した。

「弁当だってこれが次にも来るか分からない。物資がなにも届かないんだ。市の方で大型車を準備して多少離れたところまで支援物資を取りに行っても、そこに向かうまでの燃料も入ってこない」

その職員はさらに話を続けた。

「隣町の避難所に避難した市民は向こうの市役所の職員に『市民税払っている人優先なので』と言って、食事を与えてもらえず、隣町の病院に行った人は表の張り紙で『○○町、○○市から来た人は裏口に回ってください』と書いてあったので、裏口に回ったら、まるで汚物を扱うようにサーベイをうけ、別で診療されたということも起こっている」

「もうここにいることが差別の対象になりかねない。これからこういったことはどんどん起きてくるだろう。勿論学校でもそうだ。仕方のないことではあるけれど、市内の線量も上がりはじめている。まだ若い人はもういるべきではないと思う」

職員が暫くしてその場を離れると、また僕ら3人になった。

決断のときだ。

「もうだめだろ」
「どうします」
「避難するしかない」
「あてはあるの」
「仙台に兄がいる」
「連絡とれるの」
「とれる。ただそこにいくまで大分国道がやられてるから」
「ああ、津波が被ってるのか」
「山道は通れないところもあるだろうし」
「俺はとりあえず県庁に行って、物資が届く避難所に入るか。ここの避難所からも移っている人がたくさんいるし」

「ここの鍵はどうする」
「さっきの職員に返そう。指定管理なんてもはや意味ないよ」

「ガソリンは大丈夫か」
「半分以上あるから大丈夫」

自分のガソリンは満タンだった。

話は決まった。僕ら3人は避難する。

1人は兄を頼って仙台に。
僕ともう1人は県庁に行ってから遠くの避難所に入る。

館内の職員に事情を話して、鍵を返した。
その職員は安堵の微笑みを見せた。
「うん。そうした方がいい」

僕らは軽い会釈をすると、施設を出た。

仙台に行くスタッフは
「また、会いましょうね」と言うと、早足でその場を去った。

車を見送ると、僕ら2人はガソリン満タンの自分の車で避難することに決めた。まずはアパートに向かい、着替えやインスタント食品をありったけ持っていき、もう1人の男性スタッフも家でありったけの着替えと食べ物を僕のオンボロ軽自動車に積み込んだ。

とうとう僕らの放射線からの避難が始まった。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》