震災クロニクル3/13⑫

午後2時

やはり夢ではなかった。意識がはっきりとしていくにつれて、散らかった部屋が夢から現実に僕を迎え入れた。
アパートのドアを開けると、何気ない毎日の風景。向かいの一軒家は重厚な黒塗りの壁で、僕のアパートに迫ってくる勢いだ。ふと屋根に目をやると、所々抜けている。やはり夢ではなかった。たかだかそんな光景が絶望的な現実への回帰を確かなものにした。車にエンジンをかけ、仕事場へ向かう。街は大分車が少ない。市役所に車を走らせ、出勤前に事態の把握を試みた。

すると驚くべき光景が、そこにあった。あれだけ人通りが少なかった街とは思えないくらい、人でごった返していたのである。辺りには臨時の掲示板が並べられている。貼られた紙には手書きで、

「松本洋子 生きている。避難先……電話番号……」

同じように書き連ねた無数の紙が辺り一面の掲示板に貼られている。取り敢えず普通ではないことだけが僕の認識のなかに強く刻みこまれた。

項垂れながら、市役所を後にし、職場へと向かった。相変わらず施設には沢山の重機と水の山。体育館には支援物資と思われるものが少しある。

事務所に入ると、違和感に気づく。明らかに市役所の職員が少ない。きっと別の避難所やら東奔西走しているのだろう。しかし、この場にいた一人から、真実が告げられた。

「自衛隊の話を聞いて、逃げたよ。」

そういうことか。自衛隊との情報交換の中で、真実を告げられ、逃げたした職員が多数いるとのことだ。

不思議と怒りはなかった。普通なら怒鳴りちらすほどのことだ。しかし、よくよく考えてみれば、自分が逃げたした職員の立ち場だったらどうするかを考えたとき、きっと同じように逃げてしまうだろう。そんな自分が彼らの行動に腹をたてる資格はなかった。仕方のないことである。いなくなった職員の気持ちも痛いくらい分かっていたつもりだった。
商工労政課に残っているのは中高年の男性だけだった。

ふと理事長に目をやると、笑顔で挨拶をしてきた。珍しいことだ。いつもスタッフをいびるのがこの婆の日課なのに。NPOの傘に隠れたブラック企業が!

「おはようございます!」

子どものような元気な声で、30代の女性が入ってきた。理事長の息子の嫁の潤子だ。こいつも普段はスタッフをいじめ、よく女性スタッフを泣かせていた。まるでお姫様気取りのおばさんが一体何の用だ。
「おにぎり食べてください!」

出来立てのおにぎりを僕の目の前に出した。
正直気持ち悪い。あれだけ僕たちスタッフに威張り散らしていたバカ女が、震災程度で掌を返すだろうか。
ひきつった顔でおもむろにおにぎりを口に運ぶと、やはり真実が告げられた。

「私たち今から愛知に避難します。皆さん頑張って下さい。」

とびきりの笑顔で、それを言ってのけた。これにはさすがに怒りを覚えずにはいられなかった。それがおにぎりの行動と相まって、込み上げる衝動を押さえきれなかった。とっさに手を止め、残りのおにぎりを食べずに事務所から出た。

「ありえないよな。」

昨日ともに宿直した相方が僕に話しかけた。二人ともその場に立ち尽くし、今日は何をすべきか考えていた。その方が気が楽で、明日のことを考えずに済む。とりあえずはガソリンの調達だ。職員の中には車のガソリンが底をつきそうな人もいた。自分はちょうど半分くらいか。まだ、考えなくてもよいくらいの量だ。しかし、何時まで続くとも分からないこのサイクルは要らぬ心配に拍車をかけた。

もしかしたら1週間はもたないかも。

先のことを考えたくなくて、事務所から出た自分達は正にその「先のこと」で頭を悩ませていた。すると、理事長がラミネートされた一枚の紙を僕たちに手渡した。

A4版の紙には「物資庫管理」と大きい文字で描かれ、下には理事長の名前と社番が押されていた。

「これでもしかしたらガソリン入れられるかもしれないから。」

気持ち悪い笑顔が眼前に広がると、吐き気をもよおす様な偽善の嵐だった。
取り敢えず僕らはガソリンスタンドに向かった。どこも閉まっている中で、一件だけ長蛇の列だ。
スタッフがドライバー一人一人に声をかけている。

「すいません。すいません。」

どうやら売り切れらしい。ダメもとで並んでいると、自分の車にもガソリンスタンドのスタッフが来た。すぐにラミネートされた紙を出すと、店長とおぼしき男と話をし、前に誘導された。なんと!列の最後尾から、ガソリンスタンドの敷地内にワープ。

これは凄い効果だ。ガソリンを満タンにし
「後払いでお願いします。」とスタッフに言われ、そのまま仕事に戻った。

そのとき、もっとも人間の醜悪な部分が僕の心に巣食い始めていた。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》