震災クロニクル3/30(38)
午後1時、不気味な静寂の中目覚めた。
あぁ、そうか、帰ってきたんだったっけ。もう少し生きたかったけど、最期を迎えるのはやはりここが安心できる。そんな気持ちで帰ってきた。
遠くで時折、車の通過する音が聞こえる。辛うじて人がここに暮らしている証拠か?それとも作業員か?自衛隊か?
よく分からないまま、徐々に体を起こしていき、やっとのことで起こした身体を酷使するように、車に飛び乗った。向かったのは昔の仕事場。いや、正確にはまだ在籍しているかもしれない仕事場だ。公共施設に向かうと、事務所に灯りがついていることに気づく。気まずさとともにゆっくりと扉をノックする。
「こんにちは」
「おお!また会えた!元気だったか」
そこには数人のスタッフと理事長がいた。暫しの歓迎の後、案の定理事長の愚痴が始まった。
「指定管理をしていて、税金で飯を食っているのだから、公務員に準じた責任がある。だからって訳ではないけれど……」
何が言いたいんだよ。お前も避難しただろうが。というか、その市役所の職員もどんどん居なくなっていたのをこのオババは覚えていないのか。
後にこの理事長も市のバスで新潟に避難したことが分かる。
偉そうに。ダカラナンダヨ。
「あ?なんですか?」
自分の凍てついた視線と冷めたきり返しに、理事長も言葉の矛を納めた。
もともと一年契約だったので、そろそろこの仕事も終わり。さっさと次の仕事を始めたかった。
避難体験をお互いに話し、暫し和やかな雰囲気で時間は過ぎていった。
話題は武田邦彦教授のコラム
この教授のことはごみの分別の無意味さを説いてきたことでよく知っていた。彼が放射線に関する報道に警鐘をならしていた。テレビの報道やコメンテーターの適当な安心の安売りには飽き飽きしていたので、彼を信用するかどうかは別にして、
「正しい姿勢」
についてはある程度共感できた。特に放射性物質については正しく知り、正しく対処することを学んだ。できるだけ身体に取り込まないようにするために毎日の生活で何を気を付けなければならないのか。
放射線にも大分詳しくなった。
β線……テレビでよく言われる「セシウム」だのはこれ。
α線……本当に怖いのはこれ。プルトニウムとか。あまりテレビでは放送されない。
重いから飛ばない……と言われていたが……。
僕らは正に悲劇の只中にいる。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》