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震災クロニクル(東日本大震災時事日記)3/12⑧

施設の事務所には職員数名、理事長、市役所の職員数人が何やら話している。

「まいったよ……」

市役所の職員がうなだれる。

「〇〇市議なんだけど、『俺の車はハイオクなんだから、入れられるところ捜せ』って職員に言ってきてさ。こっちの身にもなってくれよ……。」

結局はそんなものなのだろうか。特段驚きはしなかった。政治家なんてしょせん政治屋だろう。利権やらなんやら薄汚いものが薄い面の皮から透けて見える。その職員も災難なことだ。この震災でさらに災難を受けるとは不幸なことで、自分だったら絶望の丘に立ち尽くすにちがいない。ガソリンの用立てなんてこの地域一帯では困難すぎる業務である。いまやガソリンはダイヤモンドみたいに貴重であるらしい。

机上には職員が持ってきた弁当が数個並んでいた。少し小さめののり弁のようなものだ。一ついただこう。テレビを眺めながら、弁当を貪るが、どうも食事が喉を通らない。食欲もない。感情の薄い生き物がそこで何かを食べているだけであった。ふとテレビに原発の映像がさっと流れ込んだ。

ボフッ!

音は聞こえなかったが、そんな感じに建物が風船のように割れた。白煙が薄く上がる。コメンテータが言葉を失う。事務所にいた私たちも言葉を失った。

爆発……なのか?少し沈黙があった後、テレビではコメンテータが重い口を開いた。「線量が……情報が……」結局のところ、何も分からないらしい。福島原発の出入り口の線量が発表された。すでに単位が違っていて、もはやマスクや外出を控えるなど、考えざるを得ない状況だった。

ふと電話が鳴る。事務所の電話はかろうじて復旧したらしい。近くのスポーツ施設の管理からだ。とりあえず職員は全員施設内に入ったらしい。話によると、外で植え込みの作業をしていた時に体育館の窓が全部

ビシーッ!

と音を響かせ、震えたという。衝撃波のようなものだろうか。その場でみんなが危険と感じ、施設内に入ったらしい。ちょうど原発1号機爆発の映像が飛び込んだ時間の少し前のことだ。その爆発によるものだろうか。自分ではすぐに判断できないが、容易に想像出来る関連させやすい情報であった。社交辞令の生存確認の後、電話を切った。事務所内の目線が暗い影を落としたかのように下へ向かう。

とりあえず機能の打ち合わせの通り、避難民は隣の社会福祉協議会の建物に移動になる旨、館内放送で職員が知らせる。

「施設内に避難している皆さんにお知らせします。…………避難所は隣の社会福祉協議会施設に移動になります。…………荷物をまとめて、廊下に出て待っていてください。」

一文ずつ数拍おきながら、分かりやすいスピードで明瞭に館内放送が響き渡る。さすがだなぁ。こういうことに公務員の仕事の流儀を感じる。自分には思いもよらなかった配慮の放送である。自分だったらできるだろうか。いや、できない。その行動一つに自分は尊敬の念を感じずにはいられなかった。

数分後、廊下の裏口まで長蛇の列ができた。裏口の扉は固く閉ざされている。この時すでに外の線量は相当なもので、マスクを着用は当たり前で、出歩く人はめったにいなかった。被爆を避けるため、最小距離で行ける裏口からの退場になったわけだ。裏口から社会福祉協議会の正面玄関が見える。向こうのドアが開くと、こちらも呼びかけをして堰き止めていた人の流れが一斉に流れだした。各自それぞれマスクをし、ない人は布で顔を覆い、避難さながらに数十メートルの民族大移動である。

施設は一気に閑散となった。地震の影響で消防の赤いランプが飛び出し、伝上のあちこちにひびが見られた。人がいなくなるとこういったものが目立ってくる。理事長は知らぬ間に事務所から消えた。どこかに行ったらしい。職員も日が暮れるにつれ、少なくなり、また長い夜が始まるのかと、事務所に入った。物資が届かない状態はもはや深刻な状態になっており、この地域は原発の汚染地域の如く、どんな支援物資も届かない陸の孤島になっていった。自衛隊の車両が道路を行き交い、町を歩く人々は疎らにしかいない。

テレビは震災の事よりも原発の様子を伝えるニュースが大部分になっていった。線量の放送もされ始めた。しかし、原発からの近距離に線量計はすべて壊れていて、線量の数値は発表されなかった。

「本当か。本当は壊れていないんじゃないか。ただ発表できる線量ではないだけではないか。」

自分が報道に初めて抱いた懐疑の目であった。壊れている線量計は原発から近い所に限られていた。明らかに都合がいい。そんな偶然が起こるだろうか。

本当のことが知りたい。もはや最悪の状況を聞く心の準備はできている。想像するに容易い。きっと切望的な事実なんだろう。

「直ちに影響はない。」

この言葉がすべてを物語っているではないか。

自分は嘘で塗り固められた気休め、慰めの言葉をもはや看過できる状態ではなかった。このままテレビをつけていると頭がおかしくなりそうだ。悔しくも使えないスマホを眺めて時間をつぶすしかない自分を情けなく無力に感じていた。

気づけは辺りは薄暗く、夜になろうとしていた。不安な二夜目が僕らを包みこむように辺りを覆った。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》