復興シンドローム【2015/03/30~】⑪

花粉症の季節になると、寝ても覚めてもイライラがつのる。4月迎えた今は春真っ盛り。検問所は山の麓にあり、周りは杉林ばかり。重度の花粉症のボクにとっては地獄の牢屋そのものだ。そんな中でも通行証のチェックは怠ることはできない。時期的にも新規業者が数多く帰還困難区域を通るだろう。4次請け5次請けの業者ともなると、書類不備は当たり前。身分証すら持たない作業員もいるものだから、もはや「会社」としての体をなしていない。仲間内でお仕事ごっこをしているようなものだ。加えて作業員の質の低さときたら目も当てられない。
「はやくしろ」
「まだこんなことやってんのか」

そういう現場だわかっていて、ここの仕事を引き受けたのだろうが、そんなことは忘れてしまっているのだろう。朝の混雑の中、通行証の確認作業は迅速、正確、安全が求められている中で彼らの存在は邪魔以外の何物でもない。しかし、考えてみれば下請けの下請けの彼らは一体いくら搾取されているのだろう。そう考えると同情にも似た感情がこみあげてくる。先日もニュースで危険手当の搾取について話していた。犯罪だのどうこうの言うが、テレビで流れていることなど、ほんの一部分で、本当はもっと大きな巨悪を叩かないといけないのだろうけれど、すっかり東京電力のことなんか忘れてしまっている。それよりも復興関連事業での不正に光を当て、世間の意見を煽ろうとしているのは、メディアの方々が骨抜きになったから?そんなことはだれの目から見ても当たり前だ。震災から数年たった今、you tubeをはじめとするインターネットメディアはものごとの本質を的確に射抜いている。地上波で決して触れられることがなくなった今、僕は情報をインターネットから見つけ出し、内容の取捨選択をしなければならなくなった。情報の正当性を担保する大手メディアの優越はもはやないのだ。地上波で東京電力の話がめっきり減ったのはきっとそういうことだろう。
そういえば、僕らの会社もスクリーニングをしてほしいと東京電力に依頼したら、断られたそうだ。彼らは自社の人間しか検査をしない。協力会社の人間の検査は決してしてくれない。まして、その協力会社の下請けなどそもそも放射能関係の問題が生じても、自分たちの責任だということにはしたくないのだろう。自分の警備会社の上司がそうぼやいていた。

「詰所の電気も発電機使ってるのは、市の方からは『東京電力の下請け』って思われているからで、自分達に電気を分けてくれとは言えないから。電線から電気ひっぱって来れないのは、仕方ないよね。ほんとは国からのお金で警備しているんだけど……原発事故関係の仕事はほとんど東京電力の手下とした思われていないから……つらいところだね」

そんなことで頭がいっぱいになると、当然仕事に身が入らなくなる。春の訪れは新し出会いへの期待感はどこへやら。現状への不満と不安で心が閊えるような閉塞感が自分を襲うのだ。

原発関連の業者が変わっても、それは大きな大きな巨悪の一部、その悪事を隠すことに他ならない。きっと、切られた業者には何か不都合があったのか、それとも不祥事か。そこに切り込まなくては現状をきっと正確には捉えられない。そう、数年経った今ですら誰も原発事故で刑務所に行っていないのだから。

加害者なき人災の爪痕はまだ福島に深く深く……。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》