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「受験は団体戦だ」?←ある意味正しい。

近くの高校教諭がこの時期によく 云う
「受験は団体戦だ」

また始まったか。

自称進学校は都合のいい数字を利用し、都合の悪い数字については隠すもの。この高校の四年制大学進学率は確か8割強。しかし、その内訳は殆んどが指定校推薦である。そもそも、指定校推薦とは学校の評定で校長が推薦を許可するもの。しかも事前からここの高校から何人と割り当てが決まっている。高校の職員会議で許可された生徒が指定校推薦を受験できる。

殆んどが小論文と面接。

倍率は1.0

しかも、その生徒たちは高校への献身が迫られる。まぁ、学校が推薦してあげたんだから、ある程度協力しろという気持ちは分からないでもない。しかし、彼らが大学生の学力低下に大きくか変わっていると私は考えている。

近場の高校を見れば
ここ数年の指定校推薦合格者は入学までの間にアルバイトや旅行、遊び、青春を謳歌している。勿論それ自体は悪いことではない。しかし、内定後の高校内での言動行動で、一般受験の生徒たちとの要らぬ争い、トラブルが絶えない。ほとんどの原因が学校での立ち振舞い、授業中の立ち振舞いである。

こんな動画がYouTubeにあるが、内容は別として大筋では同意せざるをえない。

そもそも推薦は高校の調査書と「これからののびしろ」を測るものであり、内定してから向学心が揺らぐような生徒はそもそも学校側が認可してはいけない。

実際この高校で指定校推薦をとり、そこそこ有名な大学に進学した学生は大学の講義についていけず、留年や成績不良として、高校側に連絡、または一年で退学してしまった。こういったことが続発している。

話をもとに戻そう。
「受験は団体戦」←これが学校で使われていたのは

「みんな三年間一緒にいた仲間なんだから、一緒に頑張ろうぜ!」

という意味であった。仮にこの意味だったとしても。いたく評判の悪い台詞だ。一般入試をひかえている受験生にとって、何気なく街中に流れる商店街のBGMのようなもの。受験する大学は人それぞれ違う。あくまでも個人戦である。

しかし、「団体」をカテゴリーの見方を少し変えることによってある意味の正当性も帯びてくる。

それは、ここまで支えてくれた両親、家族を踏まえての「団体戦」である。それならば大いに団体戦結構。

甘えの言葉にならぬよう、受験生一人一人が心がければよいだけだ。間違っても「クラスのみんなで頑張る」のような耳障りのよいだけの意味にならなければ、団体戦でも構わないと私は考えている。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》