文学部について

昨年、科研費問題で取り上げられたこと。
また、国公立大学の文系削減のやり玉にあげられたこと。

そこには文学部が必ずあった。

理系と対比され、「役に立たない。科学よりも必要ない。」
「文科系は……」

よく言ったものだ。テレビのコメンテーターはこの程度なのだろうか。
実学=無意味と短絡的に結びつける知の欠落がそこにはあった。
「文系の学部は就職ないよ。」
「稼ぎたいなら理系だよ。」

近くの高校教師はそう宣う。
特に文学部を志す学生に警告のように担任がそう言うのだ。教員志望でないなら、なおさらそうだ。

文学に価値はないか?
では中学国語で「走れメロス」を取り扱ったとき、あの強いメッセージ性を誰も感じないとでも言うのか。
高校で「羅生門」「山月記」をやる意味は?

生徒の中には数名、死生観や人生観を考える奴もでてくる。言葉の力は偉大だ。価値観全てをひっくり返してしまう可能性があるからだ。
言葉や文章について、その歴史を学び、表現法を考察する4年間は金銭には代えがたい経験であり、崇高なことだと思う。

私は理系を蔑むわけではない。むしろ羨ましいくらいだ。しかし、同じくらい文学を学ぶ学生にも羨ましさを感じる。

学歴如何ではなく、その学部で何を知るかに重きをおいたとき、文学の本当の面白さと奥深さを知ることができる。もちろん言葉の使い方も。

たから、文学部を志す若者よ、どうか胸を張って受験してほしい。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》