震災クロニクル(東日本大震災時事日記)3/12⑨
辺りは暗く寝静まっていた。部屋の明かりがポチポチと団地を彩っていて、星空と大差ないくらい綺麗な光景だ。それは明るすぎず、本当にポチポチと暗闇を飾る。ただ道路は奇妙なくらい静まり返っていた。たまにパトカーと自衛隊車両とおぼしき車両が徐行運転で辺りを見回っている。各学校の体育館は避難者でいっぱいだそうだ。
ふとテレビをつけると原発関連がどのチャンネルでも大勢を占めていて、津波関連や地震関連はテロップやバナーに追いやられていた。まったく地震を報道しないわけではないが、深刻さの度合いからいって、原発関連がトップにくるのも仕方がなかった。そのときの僕らは未曾有の天災よりも、未曾有の人災に神経を裂かざるを得ないことは身に染みて分かっている。しかし、そんな状況が好転しないことは昼間の状態から明らかである。夜のテレビでそれを再確認なんてしたくない。分かっている、分かっているんだ。だから、どうしろって言うんだ。僕たちはとどまるしかない。行き場なんてどこにある?
「マスク着用をお願いします。」
「外出は控えてください。」
「外から帰ったら、まず服をよく叩いて、ゴミを払ってから室内に入るよう心がけましょう。」
もうたくさんだ。そんなこと繰り返したって、原因の施設はまだ物質を垂れ流し続けるんだろう?僕らがそんな努力をしたところで、いつまで続ければいい?お偉方の会見は僕らのそんな素朴な質問にすら答えてはくれなかった。
「テレビ消さないか?」
ふと自分から言い出した。もう一人の宿直のスタッフは
「……そうですね。」
か細い声で答えた。彼は20代前半の入ったばかりの男性スタッフだった。NPOに入ってボランティアを志したわけではなく、次の就職までの繋ぎだろう。まさしく自分もそうである。二人ともここを本当の就職先なんて考えていない。運悪くブラックのNPOに入ってしまった後悔こそあれ、この理事長一族のコマとして一生を終える気なんて更々ない。
思えば奇妙な話である。ボランティアや奉仕の精神とは無縁の僕ら二人は震災をきっかけに宿直を直訴し、避難したきた人たちの世話をし、物資庫となった庫の施設を管理している。市役所とのパイプ役にもなっている。
震災が僕らの立ち位置を180度変えてしまった。しかも、意識することなく、自然にその立ち位置変換は起こったのである。ボランティア無縁男2人がいまや、この施設から復興の狼煙を上げる旗振り役にでもなったつもりだろうか。こう考えると何か奥歯の奥がむず痒くなってくる。
しかし今はもはや疲れた。どんな情報も僕らを疲弊させるだけだった。机には市役所からの支援物資。
おにぎりセットとおかずが無機質に置かれていた。
何気ない夜勤の光景ではあるが、そのなかに今後の不安を予知していることがあったとは僕たち二人は知る余地もない。ただ、その食事を不信心な口に運ぶ作業にしばらくは終始した。
テレビを消して、辺りは静か。耳鳴りがするほどの静寂は僕らにほんの一時の安らぎを与えてくれた。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》