震災クロニクル 7/1~30 (48)
七月某日
僕は前職場に来ていた。仲間の様子を見に、足が何となく向いたのだ。ほとんどの職員は辞めていて、そこには昔からのスタッフが1人、理事長の身内スタッフが2人、そして理事長がいた。
「おう!どうした?」
驚きにも似た喜びの声だけが、館内に響いた。
避難のことやその後帰還したこと。避難中の出来事をスタッフと語り合った。あれだけ人間関係がぎくしゃくしたところだったのに、不思議と話が弾んだ。
親戚の所を渡りあるいて、結局は帰ってこなければならなかったという事実。避難所で苦労してここに帰ってきたという事実。
みんな苦労したんだ……。
自分もどんな避難をしてきたか、事務所で話した。すると、スタッフが偶然席を外した。
自分にお茶をいれるために給湯室に向かったスタッフ……。
事務所には理事長と自分の二人きりになった。
おもむろに自分の向かいの席に60代の理事長ババァが腰を下ろした。
「お前が鍵を市役所に返して避難したとき、『○○さん(←理事長)は指定管理を自らやめたらしいぞ』って、噂がたってさ。少し大変だったよ。お前の給料の一部はさ、市の指定管理料から出ているのだから、公務員みたいなものだ。だからその辺をね……」
とっさに切り返す。
「だからなんです?理事長は避難しないでここにいたっていうんですか?新潟にバスで避難したそうじゃないですか。市役所の職員だって、日に日に少なくなっていったことはご存じでしたよね。あの状況下で今でも自分の判断は間違っていたとは思っていません。ましてはあなたに言われたくありませんね。あなたの息子夫婦は愛知にすぐ避難しましたよね」
関をきったかのように言葉が飛び出した。
「わかった……わかった。そう思っただけなのよ」
慌てて諌める理事長。よほど知られたくない部分を自分が知っているからであろうか。ヒステリックにはならず、自分を宥める。
席を立って、
「用事あるんで帰ります」
その場を早く立ち去りたかった。
玄関に向かうと理事長の妹が車のトランクにオイルヒーターなどこの街に集められた支援物資がこの貸し館には保管されている。その荷物を運んでいる……。
「えっ……」
お互い目があった。まるで見られてはいけないものを見られたような気まずさ。
変な空気がその場を包み込む……
「いや、違うのよ。避難してる親戚に持っていってあげるの。市の許可はとってるわよ」
仮にそうだとしても大問題だ。ここにある支援物資は時間を決めて、市民に平等に配られるもの。それに手をつけていいはずがない。
少しの静寂の後、僕はゆっくりと目線をはずした。
僕は何も言わず、その場を立ち去った。
まるで汚物を見るかのような、蔑む視線でその光景を見ていた。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》