才能の民主化ネタ
まぁ件のポストがどうということを言うつもりはないけれど、TLを見れば努力教と才能教の殴り合いになってるだけだなと。
まぁ何にしても、ゴロツキが殴りやすい奴を探してたら出くわした感が否めない。
これのお陰で、パブコメの過激発言が無視されるようになったし。
これに関しては、狡い連中だぐらいにしか思わない。
本質的に、AIで創作するのと、手で(と言いつつなんやかんやAI技術も含む便利ツールは使うが)創作するのは、別のスキルツリーが必要になる。(それはデジ絵とアナログとの違いもある)
努力量と言う定義も出来ない概念については判断を避けるが、AIで楽をすることが許せないと言う人は、要は自分が掛けてきた、スキルツリーに対するコストが無駄になる恐れなのだろう。
これはパソコン導入時に危機感を覚えた年寄り連中と似たようなもんだ。
努力する才能というのは脇に置くとしても、好きな事のスキル取得は、結局苦労を感じない。
その部分を否定し始めると、「ずる」の議論になる。
噛み砕いて言えば、「才能の民主化」って話だって、「ずる」の議論に他ならない。
そして、いちばん重要なのは、「ずる」だと思う心は、当人の感情であり、それを解消するには、努力する以外の道はない。
つまり、AIで創作するも、AIで創作しないも、新しい時代に求められるスキルツリーに対応しなくちゃいけない。
一言で言えば、赤の女王の状態と言うやつだ。
シンプルにそれだけの話なんだ。