【全年齢版】Ear of Rice and Scissor

 喧嘩っ早い男がトラブルを起こし、お稲荷さんに逃げ込む。不思議な少女に助けてやると言われ……気が付いたら狐っ娘になっていて、トリマーのお姉さんに飼われていた。


 今回ばかりはマズい事になった。
 軽い気持ちで手を出した相手が、半グレの連中だった。調子に乗って六人組をぶっ飛ばしたはいいものの、それが別の組織のシマだったらしいのだ。
 俺は全く意図せず、抗争の火種を点けてしまったのだ。

 何にしても落とし前として俺をぶっ殺さないと収まりが悪い。
 或いはいっそのこと、二つの組織が潰し合えば便利と、俺の身柄を抑えたい人間もいる。
 何れにせよ、捕まったら身の破滅だ。

 俺は全国の歓楽街を逃げ回る。日本全国に手配され、地方都市のこの街で遂に追い詰められた。
 逃げろ! 逃げろ!
 俺の本能が囃し立てる。
 狭い路地に迷い込み、行き止まりが妙に気持ち悪い稲荷だった。

「困っているな?」
 少女の声が聞こえる。
「助かりたかったら、我が下僕、我が眷属になれ」

 俺は息を切らしていて限界だった。
 追手の足音が近付く。
 あぁどうにでもなれ!
「なる! 俺を助けてくれ!」
 あらん限りの声で叫んだ。

 その直後、俺は知らない街の街角を彷徨っていた。
 土砂降りの雨に、ネオンの明かりが滲む。
 客引きも流石に表に出てこなくて、タクシーがしきりに行き交う。

 視点がやたら低い。頭がふらふらする。
「お主はこれから我が眷属。しっかりと信仰を稼いで貰うぞ?」
 どこかしら声がする。
「誰だ! 貴様は誰だ!?」
 心の中では明確に叫んでいるが、自分の耳に聞こえる声は「こやん! こやん!」となっていた。
 それは女の声にも小動物の声にも聞こえた。
 取り敢えず二足歩行出来るみたいだが、手はもふもふで、犬みたいになっていた。

「お主は狐として信仰を集めるのが役目だ。
 自由を手に入れたければ、人の子の言葉を喋りたければ、信仰を集めると良い。
 私から言えることはそれだけだ」
 それだけ言うと、言葉は止んだ。

 信仰って具体的になんだよと思いつつ、雨に身体は濡れ、跳ねた泥水を浴び続けることになる。
 こんな姿を人に見られて、碌な事もない。
 俺は急ぎ足で歓楽街からの脱出を試みた。

 その時、近付いてくる女二人の声。
「ひとみー、いい加減めそめそするのはやめようよ。
 あの子も、あんたみたいな人間に飼われて幸せだったと思うよ?」
 泣いている女を、もう一人の女があやしているようだった。

 俺は避けようとしたのだが、その"ひとみ"と言う女と目が合ってしまった。
 女の顔がみるみるうちに明るくなるのがわかった。
「かわいい……」
 傘をその場で落とし、俺に抱きついてきた。
 「やめろ!」と叫ぶけど、人間の声は出ない。
 暴れてみるが、腕力でこの女にさえ敵わない。
 畜生! こんな身体にしやがって!

 嫌がる俺をいともたやすく持ち上げ、抱きかかえた。
「こんなに濡れて! 寒いよね? お姉さんの家に行こう?」
 隣の女は傘を拾い、その女の上に掲げた。

「なんなの? その生き物……ヤバイんじゃないの?」
「でも、可愛いじゃん? 可哀想だよ、こんなところにいちゃダメだよ!」
 急に態度の変わったひとみを見て、ツレの女は「まぁ、しゃーないっか」と笑った。

 俺はそのまま女にだっこされ、地下鉄を乗り継いでマンションの一室まで連れて来られた。
 明らかに犬を飼っていた形跡があるが、犬の気配はない。

 俺が何かリアクションしようとしたら、女は自分の髪よりも先に、俺の身体を拭いたのだ。
「すぐお風呂に入るから待っててね」
 風呂に入れるならそのままでもいいだろうと思ったが、仮に自分が犬だとしたら部屋が大惨事になるなと思った――そうか、自分は犬扱いされているのか……

 部屋を見渡す。
 割と丁寧に生きている感じのする。部屋は整っていて、汚れもない。
 犬用のクッションにも犬の毛はほぼ残ってないようだった。

 彼女はそんな俺の様子を見て、「あぁ、ワンちゃんがいたんだよ。事故で死んじゃってね……」と突然泣き出しそうな顔をする。
 女に泣かれるのは苦手だ。
 「こやん、こやん」と鳴き、身振り手振りで誤魔化そうとする。
「励ましてくれるの!? うれしい!」
 彼女は強く抱きしめてきた。

「お腹すいた?」
 腹が減っているのは事実だ、俺は素直に頷いた。
「ワンちゃんのご飯食べる?」
 女は店から開封済みのドッグフードを取り出すので、俺は首をぶんぶんと振った。

 結局、レンチンご飯とふりかけを食べることにした。
 しかし手は肉球ともふっとした体毛で覆われている。自分では箸どころかスプーンさえ掴めない。
 ひとみは「熱いからふーふーしようね」と、スプーンの上のご飯を念入りに冷まし、そして俺の口に運んだのだ。

 美味い! なんでこんなに美味いんだ!?
 今まで食ったどんなに高いメシより美味く感じたのだ。
 必死にぱくつく俺に、「美味しい? よっぽどお腹が減っていたのね?」と笑った。

 レンチンご飯一つだけで満腹になった。
 そのまま横になりたい……ソファに無理して上がる。
「ほらほら、お風呂入ろうね?」
 俺はあっさり持ち上げられ、風呂に連行された。
 女は急に服を脱ぎ始める。
 風呂なんだから当たり前だ。
 別に女の身体ぐらい親の顔より見ていたが、このひとみという女、かなりの上玉だなと思えてしまった。

「人間の裸が珍しい? 人間は毎日換毛するんだよ」
 女は優しく語りかけ、迫ってきた。
「一緒にキレイキレイしましょうね」
 見上げる構図でこんな光景を見てしまうだなんて思わなかった。迫力があって尻込みしてしまう。
「怖くないからねぇ」

 そうして身体を洗われる。
 犬用のシャンプーでもこもこにされて、ブラシで丁寧に洗われる。
 女の方は簡単に自分の体を洗うと、俺を抱えたまま湯船に浸かる。

「可愛いねぇ……貴方はどこから来たの?」
 何と答えても「こや」とか「こやん」としか鳴けないので、適当に相槌を打つ。
 女は適当に犬気持ちを代弁するようなバカではないらしく、単に「何を言いたいの? わかんないよ?」と優しく笑うばかりだった。

 それからブラシとドライヤーで身体を乾かす。
 毛が絡むところがあれば、鋏で丁寧に切り取り、時間を掛けてゆっくりとブラッシングしてくれた。
 風呂の前より圧倒的に気分がいい。
 全てがスッキリして、自分自身に清潔感を感じる。
 礼ぐらいは言わなければと思い、頭を下げる。
 ひとみはそんな俺を見て「かわいー!」と言って抱きしめた。
 それからベッドまで引っ張られ、抱きつかれたまま眠ってしまう。

 別に女と寝ることなど大した事がないけれど、妙に気持ちが高ぶってしまう。
 なんでこんな事になったのか……

 俺がこの世界から消えて、あの一件はどうなっただろう? 死んだという扱いになるのだろうか? しかしそうなると、死体を誰が確認したのかで状況が変わる筈だ。
 こういう時、適当な死体をでっち上げて、俺だと言うことにすると言うのは、十分にありえる話だ。
 そうだとしたら……大規模な抗争に至らないで済むかも知れないな。
 俺みたいな人間は、表も裏もなしに居所なんてなかったのだろう。

 いつの間にか眠りにつき、そして朝になっている。
 朝ごはんはトーストとヨーグルトだった。
 彼女は同じものを食べながら、自分の齧ったパンを千切って寄越し、俺の口にしたスプーンでヨーグルトを掬って食べていた。
 衛生観念がよくわからない女だ。
 しかし、トーストもヨーグルトも特に珍しいもの、高級なものには思えないが、やはり驚くほど美味いのだ。

 そして彼女は身支度が済むと、俺に首輪をつけようとした。
 俺は断固として拒否する。
 ひとみは「だって車とかいて、外は本当に危ないんだからね!」と力説する。
 俺は嫌々女の手を握ろうとする。
 握ると言っても両手を彼女の手のひらに添えるだけだ。

「じゃぁ、おてて繋いで行きましょうか!」
 どこに連れて行くつもりなのか分からないが、こんな女がやくざ者な理由がないか。

 歩いて十分ほど、彼女の職場に到着した。
 犬向けのトリミングサロンだ。
 店長らしい女性と話している。
「よかったー! これからも一緒にいられるよ!」
 どうやら、俺を職場に連れてきていいのかどうかと言う話だったらしい。

 店長が顔を近づけ、「君は誰? 可愛いね」と微笑んだ。
 それで店長とひとみ、他の従業員は「名前はなんて言うの?」というところから、「まだ決めてないから一緒に考えて!」と言う方向に進んだ。
 俺の意思とか無関係か?

 出てきた案がやたらとキャピキャピした可愛いものばかりで、「突然現れた天使だから、エンジェルちゃんがいい?」とか「真っ白だからミルクちゃんにしようよ?」とか問いかけられ、俺は全力で首を振った。
 その時、店長が「雨の時に出会ったんでしょ? なら時雨とかいかがかしら?」と言った。
 今までのネーミングセンスに比べればずっとマシだった。
 俺は元気よく首を縦に振った。

「この子も時雨がいいみたいね?」
「時雨ちゃん? それでいいかな?」
 俺は「こやん」と鳴いて頷いた。

 それから俺は看板キツネとして出勤した。
 空いた時間に俺の身体も綺麗にトリミングされる。
 肉球に絡む毛をバリカンで刈られ、肉球や鼻をクリームでマッサージしてくれる。
 目の周りを拭いてくれて、耳の中や口の中を、不織布の指サックで綺麗にしてくれる。
 最後に肛門まで綺麗にされた……羞恥心が物凄いが、しかし自分のケツも拭けない体たらくでは、こうしてもらうしか他がなかった。

 常連のお客さんは俺を見るなら可愛いと喜び、抱っこを求める客が多かった。
 犬は適当に相手をするのだけど、人間ではないのでなんだかナメられた態度も取られる。
 懐く犬もいれば吠える犬もいて、犬によって性格は違うんだなと思った。

 次第に「これ、時雨ちゃんに食べさせてあげて」といろいろなものを貰う。
 高級ドッグフードは流石に口にしなかったが、お菓子や果物、旅行先のお土産で珍味系の缶詰とか色々なものを貰った。
 そして、そのどれもが美味しくて感動してしまう。

「時雨ちゃんは何でも美味しそうに食べてくれるから嬉しいわ」
 店の人もお客さんも、俺に癒やしを求めていたのだ。

 冬になり、寒くなると、大型犬用の靴だの子供服だのを着せてもらう。
 雌だと思われているようで――実際男に付くべきものがないのでそれは確かなのだが――可愛らしい女の子の服を着せられる。
 妙にマッチしているのが、巫女服や和ロリと言う感じのもので、みんながみんな「神々しくてお賽銭あげたくなるわ」と笑うのだ。

 ひとみも良くしてくれるし、店の人も近所の人も良くしてくれる。
 夕方、学校帰りの小学生や、女子中学生、女子高生が俺目当てでお店の前に集まったりする。
 店長は気のいい人なので、手が空いていれば俺の手を引いて、子供の相手をさせたりする。
 乱暴な子はいない。皆、優しくしてくれる。

 ある日、横暴な態度の男の客が現れた。
 あれこれ注文が細かく、挙げ句、綺麗に仕上がった犬を見ては、クレームを付けるのだ。
 店長も従業員もほとほと困っているところに、俺は飛び出た。

 何が出来るとも思わなかったが、ここまで良くされている店で何食わぬ顔もできない。
「こっちが大人しくしていれば! これ以上、好き勝手するならタダでは済まさないぞ!」
 まさか人間の言葉が出るとは思わなかった。
 しかし、可愛い声で全く迫力がない。

 客はなんともバツの悪い顔をした。
 他の客の視線も集中していたので、「払わねぇっていつ言った!」と叫ぶと、周囲を睨めつけるようにしながら、代金を払って犬を引っ張っていった。
 後で聞けば、怪我があったとか何とか因縁をつけて回っている男だったらしい。

 男が立ち去ったあと、ひとみが抱きついてきて、「時雨ちゃん大丈夫!?」と体を擦った。
「だいじょうぶ」
 やっと喋れるようになったのだから、何か言ってやろうと思った。
「あんなのには負けないよ!」
 意図に大きな違いはないにしても、可愛い感じに喋ってしまう。

 その日の帰りにひとみは、「お祝いだから、何か美味しいものを買いましょう」と笑い、寿司が食いたいなと思ったので、「おしゅしとおしゃけのみたい」と舌足らずに答えた。
「時雨ちゃん、お酒飲むの!?」
「おしゃけだいすきー!」
 どうにもこうにも、可愛いナイズドされて格好が付かない。

 ひとみがスーパーで買い物してる時、私は表で待たされる。
 流石にケダモノが中に入るのはマズいと警備員に言われたからだ。
 往来は私に注目し、たまに声を掛けてくる。
 お婆ちゃんに油揚げを貰うことも多い。
 この油揚げと言うのは、DNAに響くんじゃないかと思うほどに美味しくて、周りもそれを察して良くしてくれる。

 そんな時に「あーら可愛い! お姉さんのところに行きましょうね!」と声をかけるオバさんがいた。
 私は「いやだ! ひとみとかえる!」と言うが、女は私の手を引き、それでも嫌がると抱え込もうとした。
「やめて! たすけて!」
 必死に藻掻き、精一杯叫ぶと、警備員さんがすっ飛んできた。
「これは私の子よ!」
 女は叫ぶが、警備員に「嘘はやめなさい!」と一喝された。
 その瞬間、手が緩んだのを見て、私は逃げ出した。
 警備員さんの後ろに逃げると、「あら嫌だ、本気になって!」と捨て台詞を吐いて、女は逃げていった。

 買い物を終えたひとみは、スーパーの店長さんから謝罪され、理由もわからぬまま、「今度からはご一緒にお買い物を楽しんで頂けたら」と言われた。
「そうおっしゃって頂けるなら、ありがとうございます」
 ひとみはあんまり釈然としない顔だったが、私がひとみにしがみつくと、「まぁいいか」と笑った。

 家でお寿司を食べながら、帰りの出来事を説明したら、ひとみは目を丸くして驚いた。
 そして「もう、時雨からは絶対に目を離さないからね!」と誓い、そしてぎゅっと抱きしめてくれた。

 私は「痛いよぉ」と訴えると、「そうだ! お酒飲もう!」と日本酒を勧めてくれた。
 もっと飲めるつもりだったけど、お猪口三杯ぐらいでふらふらだ。
 もう一回ひとみが抱きしめてくれて、これでもいいのかなと思った。

 私がお話しを出来るようになってから、日常の事が少し便利になったけど、だからといって特に大きく変わる事はなかった。
 でも日々、私を一目でも見たいと言う人が訪れる。
 私との会話は当たり障りのない事ばかりだ。
「何処から来たの?」「そんなに遠くから来てくれたの? 嬉しい!」「元気にね。健やかにね」
 そんな会話でも色んな人が満足して帰っていく。
 色々なプレゼントをくれる。

 ひとみやお店のみんなはそんな事に嫌な顔ひとつしない。
 でも、みんなの腕が立つことが世間に知られるようになると、犬を連れたお客さんも増えてくる。
 むしろ、私と会う為にわんちゃんを連れて来る人も少なくない。
 お店は繁盛しているし、商店街も繁盛している。

 みんな幸せそうで嬉しい。
 信仰って……こういう事なのかな?


えっちな完全版(有料&R18)はこちら
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全年齢版とR18版の違い
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