エンタメとコロナ
自分の中に”プラス”ととれることを増やせた一日だったのでカバー画像もそれに。
隣駅まで50分ほど歩いてみた。V6の歌番組を見た。KinKi Kidsのブンブブーンを見た。福山雅治のラジオを聞いた。アルバイトをした。
そのどれもが今日を豊かにしてくれた気がする。久しぶりに就職活動に関して何もしなくて自分がやりたいと思ったこと、幸せになれることだけをした一日になった。たまにはいいよね。
ところで、最近堂本剛の「街」という曲が気になる。
このカラダまだいけるさ ゲームはまだ終わっちゃいないさ 愛を見失ってしまう時代だ 自分を守り生きてく時代だ 何かを守るために愛を伏せるなんて不細工だ
YouTubeにもいろいろあるけれど一応公式のものを。だんだんネタがなくなりそうなものを毎日何とか更新してくれている彼から生まれた言葉だから信じられる。私自身はあんまり愛についてとか考える方ではないし、愛してるという言葉ほど信用ならないものはないと思っているので歌詞と生き方が完全にマッチするわけではないかもしれないけれど
例えば現在外に出かけて行っている人々がいる一方自粛生活を継続している人々がいたり、多くのイベントが中止になる一方新しいイベントのお知らせがあったり、日々生活している中でたくさんのもやもやが生じているように思う。
そしてきれいごとかもしれないけれど愛に基づくお互いへの歩み寄りがなければそうした人たちは分かり合えないのかもしれないなと考えてしまう。
SEKAI NO OWARIのDragon Nightで
人はそれぞれ正義があって 争いあうのは仕方ないのかもしれない だけど僕の正義がきっと彼を傷つけていたんだね
という歌詞があるけどまさに今の状況はそうだろうなと思う。誰かにとっての不要不急はほかのだれかにとってはそうではないかもしれない。そして補助の出され方の影響もあって特に文化芸術、エンタメが軽視されていることがとても悲しいしこの先どうなるのか不安になる。確かにエンタメを楽しめるのって社会が正常に回っているときだけかもしれない、しれなかった、でも、社会が”正常に”また回るときがいつ来るかなんて全世界のだれにもわからない現状でそんなこと言ってられるのかと思うしだからエンタメにいる人々も工夫しながら再開しようと試みてる。
どうかエンタメへの対策を後回しにしないでほしい。
日常生活(家族など人間関係、仕事など社会の一員としての動き→お金を得る)→エンタメ!
の人もいれば
そうした家族をはじめとする人間関係や仕事などの日常生活を生き抜くためのサポートとしてエンタメが必要な人もいる。私も死にたくてたまらなかった時期に、「あと二か月生きればライブ、舞台」など生きるためのゴールになっていた時期もあった。もし、少しでも多くの人々のことを考えてくれるのならばエンタメへのサポートは不可欠だと思うし「こんな状況なのになんでエンタメ?」という視線が少しでも和らぐといいなと思う。
当たり前のようにエンタメから享受していた多くの幸せは全然当たり前なんかではなくてむしろいつも奇跡的な組み合わせで成り立っていたんだなと思うともっと味わっておくべきだったと思うし、また以前のように参戦できるようになった時は全力でアーティストたちに愛を伝えたい。
なぜこの時間になってもセミが鳴いているのか考えつつ今日はここで終わり。
はじめまして、まだまだ勉強中の学生ですが良かったらサポートしてくださると助かります!