道徳って何でしょう
今の仕事をする前は小学校で働いていた。
子どもが30人以上いるようなクラスの担任の先生ではなく、特別支援学級という少人数のクラスの先生。(そういう契約で働いてた)
小学校の先生はほぼ全ての教科の授業をしなければならない。(絶対におかしい)
その中で最も印象に残っているのが「道徳」の授業。
道徳の授業のやり方として一般的なのはこんな感じ。
①教科書に載っている短いお話や説明文のようなものを読む。
②いくつかの問いについて考える。(お話を読んでどう感じたかとか、これからどう生活していきたいかとか)
③考えを発表したり他の人の意見を聞いたりする。
④感想を書く。
感じ方は人それぞれだとは思うが、面白くないのだ。
私が受け持っていたクラスは、はっきりしている子が多かった。「興味がない、面白くない」と判断すると教室から逃げ出したり、怒り出したり、別の空想に耽ってしまったり、電車のアナウンスの真似を始めたり…。これでは授業が成り立たないし、私は泣きたくなってしまう。
なので彼らに興味を持ってもらえるように趣向を凝らす必要があった。
教科書に載っているお話は、例えば「友達とトラブルになった主人公が何かに気づき、解決する」というような短いストーリーが載っている。これは読み始めたところから結末が予測できるし、主人公がどのように解決したのかという「答え」が載っているのだ。
このお話がだめ、というわけでは決してない。なぜなら道徳の教科書は「そういうもの」なのである。誰が決めたかは知らないが。
しかし自分のクラスでこのようなお話を提示すると一斉に子供たちは席から離れ、床に転がったり、本を読み始めたり、歌を歌い始めたりしてしまうので、「そういうもの」とは言っていられない。
私がよく授業で使っていたのは「がんこちゃん」だ。テレビで放映されている有名な人形劇であるが、なんと「道徳の授業で使っていいですよ~」と無料でネットで観ることができるようになっている。
あまりにも有名なので説明は割愛するが、知らない人はwebで検索して観てみてください。
がんこちゃんのクラスの人数は5,6人で、とても個性豊かである。これは受け持っているクラスの様子にそっくりだった。
お話は最後まで一気に見せずに、途中で何度か止めながら子供たちに「問いかけ」をしていく。そのようにすると不思議と子供たちは席から立ち上がったりせず、一生懸命に考えた。
このときが、私が一番「先生になって良かった」と思えた瞬間だったかもしれない。
さて、学校の先生は「研究授業」というものをしなければならない。自分の授業をたくさんの別の先生に見られ、評価され、アドバイスをもらうのだ。先生たちはこの一回の授業のために寝る間も惜しんで準備を重ね、精神を擦り減らす。
学校の先生になって3年目、私は道徳で研究授業をすることになった。
例のように「がんこちゃん」のアニメを見せ、途中で止めながら問いかけをしていった。たくさんの先生に見られているという緊張感もあり、子供たち全員が45分間着席し続けるという快挙を成し遂げた…。
放課後に反省会のようなものがあり、そこで授業を見に来た先生たちから講評を受けアドバイスをもらう。
概ね、子供たちが一生懸命授業を受けていたことへのお褒めの言葉だった。
アドバイスとして言われた中で印象的だったのが、「話を途中で止めながら問いをするのは道徳授業のプロセスとしては間違っている」というようなことだった。
まず、このようなアドバイスを伝えてくれた先生には感謝しているし、その勇気には尊敬の気持ちを持っている。なぜなら先ほどのようなお褒めの言葉だけを話し、「アドバイス」は言わずに講評を終わらせる先生がほとんどだったからだ。
特別支援学級での授業ということもあり、私の良くなかった点を指摘するということは、子供たちの特性を否定するような感じがしたからだろう。
もちろんそんなことは一切ないし、そう思う人は一人もいないと全員分かっているが、避けるに越したことはないということだ。特に若手の先生だったらそうしたくなる気持ちは私も多少分かる。
さて、ベテラン先生から言われた「話を途中で止めながら問いをするのは道徳授業のプロセスとしては間違っている」というアドバイス。
そう言われるだろうということは分かった上で授業をしていた。そうしなければ、研究授業なのに子供たちが一人も席に座っていないという事態になりかねず、私も泣いちゃう、というのももちろんあるが、
「プロセスってなに?そもそも道徳って何?道徳の正解を知っている人っているんですか?」という気持ちがずっとあったというのが一番の理由だった。
「道徳」が何なのか先生自身もよくわかっていないのならば、せめて子供たちが答えのない問いに向き合い考える時間にしたいと思っていた。
他の人の考えていることを知って、「こう考えることが当然だと思ってたけど、そうでもないんだな~」とか「同じクラスのあいつって、そんなこと思ってたんだ」とか、子供たちが感じる時間にしたかった。
もし相手が特別支援学級の子どもではなく、30人以上いる学級の子供たちだったとしても、私は同じように授業をしたかもしれない。
結局、あまりのハードさに心身ともにボロボロになり先生は辞めてしまったが、今でも「道徳の授業ってどうやるべきだったのか」ということはたまに考える。
今回日記にこれを書こうと思ったのは「僕たちの哲学教室」という映画を観たのがきっかけだった。
北アイルランドの公立小学校で行われている「哲学」の授業の様子を記録したドキュメンタリー映画だ。
「哲学」の授業は、自分がやりたいと思っていた「道徳」の授業にとても近いと思った。
この映画についてはまた別の日記で書いてみようと思う。
完