鉄道150年特集バックステージ⑫・日記や買物帳から「鉄道が開通して何から変わったのか」を解き明かす、交通史研究の最前線
「鉄道が開通することにより、日本経済は発展した」。◯か×か。
もちろん、答えは◯なんですけれど。「でも、それはちょっと違います」と、中西聡慶應義塾大学教授はおっしゃるのです。
明治時代に敷設された鉄道の敷設願(免許を得るためのもの)や会社の目論見書(株式の募集のためのもの)を読むと、必ず「殖産興業」のためと書かれています。そして実際に鉄道が開通したことで、まず、当時の輸出産品だった織物や茶などの産地と大消費地の東京や大阪、そして横浜などの輸出港が結ばれ、日本経済は最初の近代的成長を遂げたのです。そこに鉄道が関与していることは間違いありません。
しかし、「江戸時代から水運や沿岸の港を結ぶ内航海運が使われ、独自の経済圏ができていました。それが鉄道に移行する前に、人の動きが活発になる段階があったのです」と中西教授。鉄道が開通した後、人や物の動きがどのように変わっていったのかを、たいへんユニークな手法で解き明かす過程を見せて下さったのが「物と人の流れが 地域経済を豊かにする」です。
いままでの交通史・交通経済史は、鉄道統計を使って「◯年に◯トンの産品を輸送した」、といった「線」的な経済の発展を見る研究や、鉄道官僚や投資家・経営者にスポットを当てた研究がメインだったように思われます。しかし中西先生は、鉄道開通以前の物流と開通後の物流の変化を押さえるだけでなく、「鉄道開業によって、地域の何から変わったか」に着目された研究をされました。
実証の手がかりとされたのは、何と、旧家の文書や実業家・公務員などの旅日記や商売の帳面、そして買物帳でした。中西先生はこれらを事細かに分析し、人々の行動を◯年●月◯日単位で追っていきます。それにより、鉄道開通によって人と物の流れがどのように変わり、それによって経済がどう拡張していったかをタイムスケールと地域的広がりの中に描き、その中から鉄道の役割を洗い出されています。それはまるでコマ送りのタイムラプス動画を見ているかのような感覚に襲われるような鮮やかな手法だと感じました。
ご著書『旅文化と物流』(日本経済評論社)の中には実例がふんだんに掲載されていますが、わたくし(偽)は、教誨師(受刑者に罪と向き合うよう促す)として、日本初の民間感化院「家庭学校」を作った留岡幸助の旅日記が分析対象になっているのに、たいへん驚きました。留岡のことは、刑務所や少年院などの刑事政策に関与する者なら誰でも知っていますが、逆にそれ以外の人たちへの知名度はないからです。その留岡が、交通史研究の題材になっている。こんな面白い話はないと思い、中西先生にぜひお原稿を頼みたいと思いました(わたくしは、法律書や司法関係の雑誌・書籍編集の経験が長かったのです)。
中西先生は千葉、愛知、大阪の例を挙げて本誌記事を構成して下さいました。とにかくお読みいただければ面白さが伝わると思うのですが、次回も、わたくしが尾西鉄道(現在の名鉄尾西線)に足を運んだお話をしたいと思います。(偽)