東京の人、東京のことがら(高瀬文人)

月刊『東京人』の執筆、企画、編集と隔月刊『外交』の編集に携わる高瀬文人(@points…

東京の人、東京のことがら(高瀬文人)

月刊『東京人』の執筆、企画、編集と隔月刊『外交』の編集に携わる高瀬文人(@pointscale)が制作しているページです。

最近の記事

「君たちはどう生きるか」とフランドル画家

誰も見てないと思うので、ここにヒントを書く。 ブリューゲルの画集を一冊手元に置くと、宮崎駿監督が 込めた全ての意味がわかる。

    • 鉄道150年特集バックステージ⑯・〔最終回〕坂の上の雲と「新幹線ナショナリズム」

      『東京人』編集部は飯田橋にあります。隣の隔月刊『外交』編集部での編集作業が大詰め、みんなで食べるお握りを買い出しに出てホテルメトロポリタンエドモントのロビーを横切ったとき、新幹線E5系の運転シミュレータが据え付けられているのに気がつきました。日本の新幹線技術売り込みのためにインドのモディ首相をはじめとする海外の要人へのプレゼンに使われていたツールが、役目を終えてやってきていたのです。これを見た瞬間、「吉岡桂子さんに記事を書いていただこう」とひらめきました。 150年前の鉄道

      • 鉄道150年特集バックステージ⑮・番外編・「昭和の鉄道を語る会」と神保町ブックフェスティバル

        鉄道150年マンスリーではさまざまなイベントや展覧会が行われていますが、10月29日(土)には椎橋俊之さんのセミナー「昭和の鉄道を語る会」に行ってみました。 椎橋さんは蒸気機関車の機関士や機関助士をはじめ運転に携わった500人以上の人びとにインタビューして『「SL甲組の肖像」』や『鉄の馬と兵ども』などの著作にまとめ、2021年の鉄道友の会・島秀雄記念優秀著作賞の特別部門に選ばれました。蒸気機関車の運転とはさまざまなドラマ性を見出しやすいものですが、椎橋さんはインタビューを重

        • 鉄道150年特集バックステージ⑭・「訓練された乗客」が日本経済を押し上げた。コロナで何が変わるのか

          『巷説 東京地下鉄道史 もぐら見聞録』(1985年、日本鉄道図書)という、タイトルからしていかにも面白そうな本があります。著者の吉村新吉さんは、1937(昭和12)年、高等小学校卒業後に当時最先端の仕事だった東京地下鉄道に入社。駅員、運転士を経て出征し中国戦線に。復員後は東京高速鉄道と合併してできた営団地下鉄に戻り、運転部から運輸司令長、運転課長と実力ポストを歴任された方です。正史には出て来ないようなさまざまな現場のエピソードが、落語のような軽妙な語り口で満載された知る人ぞ知

        「君たちはどう生きるか」とフランドル画家

          鉄道150年特集バックステージ⑬・尾西鉄道を歩く・産業鉄道か、参詣鉄道か

          名古屋駅関西本線ホームに上がると、待っていたのは電車と気動車。私が乗る9時42分発四日市行き各駅停車は電車、5分前に発車していった「快速みえ」は、非電化の伊勢鉄道・JR紀勢本線・参宮線を直通して鳥羽まで向かうため気動車です。 関西本線は私鉄の関西鉄道が1892(明治25)年に開業させました。単線の交換待ちで停車した蟹江駅には、開業当時のレンガ積みホームの跡が。国有化後、現在まで客車、気動車、電車運転のために、ホームが2倍以上の高さに嵩上げされているさまは、まるで地層のようで

          鉄道150年特集バックステージ⑬・尾西鉄道を歩く・産業鉄道か、参詣鉄道か

          鉄道150年特集バックステージ⑫・日記や買物帳から「鉄道が開通して何から変わったのか」を解き明かす、交通史研究の最前線

          「鉄道が開通することにより、日本経済は発展した」。◯か×か。 もちろん、答えは◯なんですけれど。「でも、それはちょっと違います」と、中西聡慶應義塾大学教授はおっしゃるのです。 明治時代に敷設された鉄道の敷設願(免許を得るためのもの)や会社の目論見書(株式の募集のためのもの)を読むと、必ず「殖産興業」のためと書かれています。そして実際に鉄道が開通したことで、まず、当時の輸出産品だった織物や茶などの産地と大消費地の東京や大阪、そして横浜などの輸出港が結ばれ、日本経済は最初の近代

          鉄道150年特集バックステージ⑫・日記や買物帳から「鉄道が開通して何から変わったのか」を解き明かす、交通史研究の最前線

          鉄道150年特集バックステージ⑪・番外編・写真展「薗部澄が写した『汽車の窓から—東海道』

          きょうもまた、鉄道150年にちなんだ写真展を見てきました。 戦後の混乱も落ち着いてきた1950年から58年の間に、「岩波写真文庫」が286巻刊行されました。編集長はフォト・ジャーナリズムの草分け名取洋之助、約60巻分の写真を、小型カメラの代名詞、ライカで撮ったのが、写真家の薗部澄(きよし)でした。 名取は1930年にドイツに留学デザインを学びます。バウハウス教育に触れたこともあったようです。帰国後、1934(昭和9)年創刊の対外宣伝グラフ雑誌『NIPPON』の編集長として

          鉄道150年特集バックステージ⑪・番外編・写真展「薗部澄が写した『汽車の窓から—東海道』

          鉄道150年特集バックステージ⑩・新事実!「ラーメン構造」で構築された地下鉄トンネルで交錯するユダヤ系ドイツ人技師と、カンカン踊りを踊ったお針子の「記憶」

            小菅(こすが)マサ子さんは1916(大正6)年京都・鞍馬生まれ。昭和初期に名古屋から上京し、お針子として日本橋高島屋の裏手の店に住み込んで、着物の裁縫の仕事をしていました。同年代のお針子と一緒に店に寝起きする毎日。縫った着物は高島屋に納められていました。厳しい仕事だったけれど、芸能人の着物を縫ったという腕達者でした。  毎日裁縫にいそしむマサ子さんの楽しみは、お針子仲間みんなで、できたばかりの東京宝塚劇場へ行ってレビューを見ること。「帰りの地下鉄銀座駅の地下道には大きな

          鉄道150年特集バックステージ⑩・新事実!「ラーメン構造」で構築された地下鉄トンネルで交錯するユダヤ系ドイツ人技師と、カンカン踊りを踊ったお針子の「記憶」

          鉄道150年特集バックステージ⑨・明治の貨車を未来につなぐ人びと

           大阪万博が開かれた年、1970(昭和45)年頃から「SLブーム」が社会現象となりました。国鉄の蒸気機関車全廃が1976(昭和51)年に予定され、各地で消えゆく蒸気機関車の写真撮影をしたり、列車に乗る趣味が盛んになったのです。若い人が中心の、いまで言う「撮り鉄」のブームよりも、より広い年齢層が加わっていたのが特徴です。現在、公園などに静態保存されている蒸気機関車の多くは、このブームに乗って「国鉄から自治体への貸与」という形で譲渡されたものです。  それから半世紀。ほとんどの

          鉄道150年特集バックステージ⑨・明治の貨車を未来につなぐ人びと

          鉄道150年特集バックステージ⑧・番外・「鉄道と人」がテーマ、ふたつの鉄道写真展

           鉄道150年。鉄道は私たちの生活の一部。だから、鉄道を舞台にした文学作品や歌がたくさん作られてきました。鉄道写真という趣味のジャンルもまた、鉄道にどんな魅力があるのかを新しい角度から知り、その人の鉄道の「見かた」を知ることもできます。きょうは、「鉄道と人」にフォーカスを当てた写真展を見てきました。 池袋駅東口、ジュンク堂書店池袋店の2軒隣りにある藤久ビル。本物の京浜急行800形と西武2000形の「顔」が飾ってある、たいへんインパクトのある外観です。現在、1Fフロアは閉鎖さ

          鉄道150年特集バックステージ⑧・番外・「鉄道と人」がテーマ、ふたつの鉄道写真展

          鉄道150年特集バックステージ⑦・江戸と東京をつないだ「都市鉄道」と土木コンサルタントの元祖

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて きょう10月14日は鉄道記念日。1872(明治5)年のこの日(当時は太陰暦9月12日)、新橋—横浜間が開業した日です。 明治維新後の東京の市街地は、徳川幕府が定めた「江戸朱引線」の中から始まりました。1882(明治15)年に東京馬車鉄道が新橋—日本橋間で開業、上野、浅草に伸びていきます。市内電車は京都より8年遅れた1903(明治36)年から走り始め、官庁街に代わった武家屋敷跡や商業地、下町を結んで新しい都市

          鉄道150年特集バックステージ⑦・江戸と東京をつないだ「都市鉄道」と土木コンサルタントの元祖

          鉄道150年特集バックステージ⑥・鉄道技術の国産化を歩く

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて 1872(明治5)年に最初に建設された新橋—横浜間、大阪—神戸間は御雇外国人を中心に建設されましたが、1877(明治10)年、鉄道頭の井上勝は大阪停車場に「工技生養成所」を設立。これとは別に明治政府が1871(明治4)年に工学寮、1877年に工部大学校となり、さらに帝国大学工科大学となります。 黎明期の鉄道技術者はこの2つの系列と、御雇外国人について学んで技術者になった3系統で養成されました。京都鉄道博物館

          鉄道150年特集バックステージ⑥・鉄道技術の国産化を歩く

          鉄道150年特集バックステージ⑤・白井昭さんとSL動態保存の過去・現在・未来

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて いわゆる地方ローカル鉄道のことを、最近、国土交通省は「地域鉄道」と呼んでいます。高齢化・少子化による人口減少・過疎化の波が押し寄せ、存続が苦しくなってきました。各社が生き残り策として打ち出したのが観光鉄道化でした。周遊イベント列車、レストラン列車などさまざまなアイデアが実行されているところにコロナ禍の外出制限が直撃。路線の存廃を真剣に議論しなければならない時が、各地で間もなくやってきます。 しかし、半世紀前

          鉄道150年特集バックステージ⑤・白井昭さんとSL動態保存の過去・現在・未来

          鉄道150年特集バックステージ④・「世界戦略商品」の元祖は蒸気機関車だった

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて 世界的に半導体不足が叫ばれています。特に自動車用半導体の不足は深刻で、新車が計画通り生産できず、中古車価格が高騰するなどの影響が出ています。コロナ禍で東南アジア諸国の半導体工場の稼働停止が相次ぎ、国際的なサプライチェーン(調達網)が寸断されることで、世界の産業に影響を与えているのです。 かつてわが国では「半導体は産業のコメ」と言われました。競争力の強い戦略商品を生産できれば、サプライチェーンで優位が保てる。

          鉄道150年特集バックステージ④・「世界戦略商品」の元祖は蒸気機関車だった

          鉄道150年特集バックステージ③・昆布うどんはうまかった

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて 内田利次さんは鉄道模型のモデラーとしても知られており、「冗車会」というサークルも主宰しておられます。設計はお手のもののCADで、工房には小型工作機械が揃えられ、真鍮材から自作された模型の数々がずらりと並んでいます。ことにクラッチ機構を組み込んでモーターの動力を切り離すことで実物が惰行するさまを再現した自由形機関車や、ご友人が作られた、実物と同じ機構を組み込んだ台車など、どう考えて作られたのか思考を追うと面白く

          鉄道150年特集バックステージ③・昆布うどんはうまかった

          鉄道150年特集バックステージ②・蘇った1号機関車の図面

          月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて 今年4月26日、明石に向かいました。鉄道史の研究が他のジャンルと比べて際立つのは、職業研究者ではなく鉄道を趣味とする人々によって進められる分野が多いことです。 鉄道開業以来の明治の機関車を「古典機」と呼ぶことがあります。1906(明治39)年の鉄道国有化以前は、官設鉄道のみならず日本鉄道、山陽鉄道、九州鉄道など各地の私鉄が各国から蒸気機関車を輸入していました。その全貌を明らかにすべく、当時の図面や、図面のな

          鉄道150年特集バックステージ②・蘇った1号機関車の図面