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10.日本史(桂小五郎)
こんばんは♪熊谷です。
昨日の記事に続きまして、京都霊山護国神社に祀っている幕末勤王志士の紹介をします。
まず1人目は、桂小五郎です。
木戸孝允とも言われていて、中学や高校時代の日本史の教科書にも出てきていたので、名前を聞いたことがある方はいると思います。
桂小五郎は、長州藩の出身。今の山口県萩市にあたります。
こちらも教科書で聞いたことがあると思いますが、「吉田松陰(まつだしょういん)」は知っていますか???
桂小五郎は、吉田松陰の松下村塾で学んでいました。写真はその松下村塾です。
吉田松陰からは「事をなすの才あり」と評価されていて、師弟関係でもあり親友の仲でもあったと記されています。
そんな桂小五郎のエピソードを書きます(o^^o)
★1863年に起こったクーデターで、長州藩は御所の警備からはずされて京都から追放されました。これ以降幕府は長州藩士を見れば、すぐに捕縛するようになり、桂小五郎も何度も捕まりそうになりましたが、そのたびにうまく逃れていました。そこから、逃げの小五郎という異名がついたそうです。
★たくさんの人に慕われていたそうです♪後輩に対して、すごく親切であったこと。自分の家に人を招いて美味しい料理をふるまっていた。桂小五郎を慕っているものは多かったと、多くの志士からのエピソードで語られています。
★お酒で失敗したこともしるされてます。山内容堂とは飲み友達だったそうで、飲むことが好きだけど、そんなに強くなかったそうです。親しみやすいですね。
★お酒を飲んでも、仕事を休むこともなく、不眠不休で取り組んでいたことを、伊藤博文の手記に残されています。ハードワーカーだったそうです。
★剣術や柔術の心得もあり、人材の登用や教育に熱心だったそうです。リーダーとしての素質もあり、周りからも認められていたそうです。
お酒の失敗もあり人間味もある、後輩や目下の人にも大事にしてきた。そしてハードワーカーで努力して結果をつくってきた桂小五郎を尊敬します。
その時代に生きて、一緒に仕事がしたいと思う方です\(//∇//)\