女性らしくの大切さ
「男らしさ」や「女らしさ」を子供に強制するのは良くないという風潮を近ごろは感じますが、私はそれにはちょっと疑問を感じています、という唐突な話を今日は書きます。
私は「女らしさ、女性らしさ」って、とても大切だと思うんです。
サッカーしちゃだめとか、青い洋服を着ちゃだめとか、そういう話ではないです。女の子らしいものが好きな男の子がピンクを選んではいけないとかそういうのでもないですよ。
ただ心も女の子であれば、女の子はきちと女性らしく育ってほしいなと思うんです。
女性らしくない女性が増えると、女性の魅力が世界中から減っていくように思います。男と女の違いって大事で、その違いがあるからこそ互いに惹かれ合うんだと私は思うんです。
それからもう一つ大事な問題があります。女性で生まれた以上、かならずリスクがつきまとうということです。
もし女の子が「男女平等」の名のもとに、例えばはしたない姿勢だとかを気にしないように育ったらどうでしょう。
まともな男性は問題ないかもしれないけど、危険な男性もたくさんいますよね。自分は紛れもなく女性で、いくら男性と同じようにとか思っても、そこは同じではないんだ、体の仕組みが違うんだ、だから自分を守れる服装だとか動きだとかを取らなきゃいけない、それを女の子には教えてあげる必要があるんです。そういうふうに私は思います。
いえ別にものすごくおしとやかに育てるとかそういう意味ではないです。私も別にそんなことはないです。
だけどあまりに「男女平等」の意識が前に前に押し出されている空気を子供たちが勘違いしないかを私はちょっと心配しています。
「女の子なんだからね、こういうことしちゃダメよ」は、今の風潮ではNGな言葉かけかもしれませんが、マナー的なものに対しては、あえてそんなふうに教えたいと思っています。
きっとね、また10年、20年したら、いま主流になっている考えが下火になるんじゃないかとも思います。価値観って移り変わるものです。
だから自分の中で感じる変えてはいけない価値観のようなものを大切にしたいな、というお話でした。
お借りしたトップの写真、ほんとうに女性らしいですね。憧れの雰囲気です。
いつもの終わったと見せかけてのまた始まるお話ですが、佐藤くんについても書いていいですか。
佐藤くんって誰? っていう感じですが近所のスーパーのレジ係のお兄さんです。たぶん学生だったんでしょう。まだ若い男性でした。
佐藤くんと出会ったのはもう1年くらい前だったと思います。その日、私は大根1本とそのほか5つくらいの食材をカゴに入れてカートを押していました。そのときたまたま並んだレーンのレジ係が佐藤くんだったんです。
私の順番になったとき、佐藤くんは右手を伸ばして、カートに入っているカゴを持ち上げようとしました。親切な若者です。
でも私は「あ、重いよ。大根あるよ」と思いました。当然のようにカゴがグラリとちょっと傾く想像をしていたんです。
ところがカゴは特に傾くこともなく、彼はヒョイとレジ台に移動させたんです。右手一本で。
私はその瞬間、恋に落ちました。
というのは嘘ですが、確実にドキッとしました。なんて男性なんだ。。と感じて名前を確認したんです。笑。
あ、この「なんて」は「とても男性的」みたいな感覚での「なんて」です。説明しにくいけど。
このあと佐藤くんと何かあったわけでもないので彼のお話はただそれだけなんですが、そういうふうに男と女は根本的に腕力とか体の作りが違うと私は常々感じています。なのにそれを無視していろんなことを同じにしようとしても無理があるんじゃないかな。
そういう小話でした。なお佐藤くんはもうあのスーパーにはいなくなりました。内緒だけど、佐藤くんを探して彼のレーンに並んでたんだけどなぁ。
そういえば義父がかわいいレジ係さんを狙っていつも並んでいたのを思い出しました。その上、毎度毎度楽しそうに何か話しかけていましたね。レジ係さんって日々の癒しになることがあるんですね。