障害ある子とともに生きる
はじめまして(自己紹介)
私の娘(ゆり)は知的障害者。自閉傾向もあり、入浴、排せつ、食事など生活全般に介助が必要です。
ハイハイは1歳半、歩行は2歳半、発語は「パパ」「ママ」「チャーチャン(おにいちゃん)」以外はしゃべることができない。
ふだんは大人しいですが、「トイレに行きたいのに待たされる」「まだ寝ていたいのに起こされる」など自分の意図しない状況に遭遇すると怒って噛みつくなどの暴力もしばしば…
そんなゆりが出生してこのかた30年、私はずっと一緒にすごしてきました。
ところが、私の不注意で足を骨折させてしまい、手術から入院、その付添いから療養生活と続く中、知的障害者(児)が在宅で生きることの難しさにあらためて気づかされました。
福祉の変遷と親の現状
人里離れた山の中に障害者の大規模収容施設が増設された時代もありましたが、最近では、大規模施設から小規模なグループホームへ、施設から地域へと福祉は様変わりした感があります。
障害者が住み慣れた地域ですごすという理念自体はすばらしいものの、この施策には在宅生活を支える福祉サービス量の確保が不可欠です。ところが、近年、少子高齢化による担い手の不足、財源不足などにより、在宅障害者(児)を支える社会資源は日々脆弱化しています。とりわけコロナ禍が拍車をかけ、結果的に親の負担が増したように感じられます。
ケアラーとしての親の役割
障害者(児)を地域で支える上で親は中心的な役割を担っています。障害者権利条約のおかげで近年、障害者本人に対する社会の意識は変わりつつありますが、支える側の親は一つの社会資源としか看做されていないように感じます。
成人の子の保護者としての役割を高齢の親に対しても求められることもしばしばですが、親は子の加齢とともに先に老化していく存在です。
支え手であった親の老化という事情についても社会が理解をすることで、親の生きづらさが軽減し、結果として障害者(児)本人の幸福にもつながるのではないでしょうか。
親の老後と親なきあとへ
私自身、ここ数カ月は困難なことの連続でとまどうことも多いでしたが、親の老後や親なきあとについて、真剣に向き合うきっかけになったのは確かです。
これまで起こった出来事やその時の心情を吐露することにより、障害者(児)の現状と親の思いを少しでもご理解いただければ幸いです。