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名物屋

こんにちは☺︎
エッセイ投稿します!
思い出のお店の話です🍜読んでいただけたら嬉しいです☺️

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忘れられない思い出のお店がある。
もう5年以上前のことだと思うと恐ろしいけど、新卒で勤めた会社に在籍していた頃のことだ。
私は神奈川県横浜市の、黄金町駅というところからかなり歩いた場所に住んでいた。黄金町はかつて、今でいう性風俗店が立ち並んでいた場所らしい。当時そこまで治安が悪いとは感じなかったけど、駅前はどことなく繁華街の端っこみたいな雰囲気があった。仕事が終わってすっかり夜になった時間、駅から歩いていると住宅街に入るのだが、街灯の数がかなり心許なくこわかった。今になって考えてみると、新卒で住む感じの場所ではなかったなと思う。賃貸アパートの内見に行った時、同行の不動産屋の人に急がないと埋まってしまうと言われて慌てて決めてしまった。アパートは坂道をかなり歩いた先にあったし普通の間取りと広さだったので、今思うとすぐ埋まってしまうなんて、そんなわけはない。けれど地方から上京してきたての私に周辺のことは何も分からず、不動産屋は真実を言っていると思っていた。今となってはそれもなつかしい。駅前にははなの舞というチェーンの居酒屋と、目の前の道路を渡ったところにファミリーマート、そして赤いのれんのラーメン屋があった。
はじめにそのラーメン屋を認識したのは入社の直前だった。大学の卒業旅行のために泊まりにきた友達とラーメンが食べたくなり、ネットで探してみた。その時に検索結果に出てきたのだ。店は「名物屋」という名前だった。口コミの評価が高くて、食べたくなって向かってみた。けれど赤いのれんの渋めな外観は女子大生2人には入るのに勇気の要るもので、結局別の店で別のものを食べた。
そんな名物屋には夫と付き合い始めてから初めて入った。夫婦で切り盛りしていて、座席は10席無いくらいの小さな店だった。私はしなちくラーメンというメニューが1番好きだった。細めのメンマが入っていて、胡椒が効いている逸品だ。正直なところ私はそれほどグルメな方ではなく、飲食店に対する勘みたいなものが当時から鋭くなかった。なので名物屋の強面の外観を見ても、そもそもそういったお店に勇気を出して突撃するという経験がゼロだったので、味のイメージがいまいち沸いていなかった。すなわち味に期待を抱いていなかったのだ。だから、はじめて食べた時、あまりに美味しくてびっくりしてしまった。あたたかくて胡椒の効いたちぢれ麺とスープは、1日働いて疲れ切った体に染みた。そしてその感動の体験以来、私たちは名物屋に度々通うようになった。
名物屋は辺りでは有名なお店で、夜2人で駅から出ると店の前に何組か並んでいることもよくあった。ある冬の夜に、私たちも名物屋で食べようということになり、列に加わった。その日は私たちの後ろに1人で並んでいる人がいた。
あと少し待てば入れるかなぁと思っていたところに奥さんが顔を出した。今日は食材の都合で、あと1人くらいで店じまいだそうだった。私たちは2人で来ていたので、残念だけど帰ろうかとなった。後ろの人が1人できているから、その人に譲って今日は帰ろう。するとそのやりとりを見ていた奥さんが店の中にいる店主に声をかけて、あと2人なら大丈夫、ということになり、お店に入れてくれた。その日は食べ終わって寒い中を帰りながらも、ずっとあたたかい気持ちが続いていた。人情をかけてもらったことがありがたく、今も忘れずにいる記憶だ。

あのころ。

分からないことがたくさんあり、社会の中での自分の基盤もまだまだ不安定だった。仕事の後落ち込んで家でひとり泣くことは数え切れないほどあり、結婚はまだだったので彼氏とずっと続いていくかも不安だった。
それでも未来の自分はきっと幸福であり、夢を叶えていると信じていた。将来が、今の生活の延長上にあるのだとはうまく想像できなかったからこそ、そう信じられた部分もあったのだと思う。そういう、未熟で、でも心に希望を持った自分がいた。
名物屋に通い続けた日々は何年か続いたが、その後私は横浜を離れることになった。距離の点から名物屋に行くことは難しくなってしまった。日々は、円の周りをぐるぐると、「仕事と生活」に追いまわされているような、必死に追いかけているような毎日だった。かつての自分が描いた理想のようにはいかなかった。現実は容赦がなく、厳しかった。
ある時お店のことが懐かしくなり調べてみると、閉店していたことがわかった。なんとも寂しく物悲しい気持ちになった。もしまたあの辺りを訪れることがあっても、お店の近くは通らないようにしようと思った。別の建物になっているのを見たくない。それくらい寂しかった。私にとってはそれほど、色々な記憶が詰まった大切なお店だった。
たまに思い出すことがある。カウンター席の丸椅子に腰掛け、ラーメンをすする。お店の中の優しい明かりまでも自分の中に取り込んだかのように、体は温かくなった。帰り道、冬の夜の澄んだ空気の中を、2人でいつまでも歩いた。
あの頃の自分の残像とともに、お店の味と柔らかい記憶が、今も心の中にある。名物屋は昔も今も、私の中でいちばんのラーメン屋だ。たぶんこれからも。

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