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うらやましさと寂しさのはなし

こんにちは☺︎
エッセイ投稿します🌳
勝手に感じた、寂しさの話です。読んでいただけたら嬉しいです☺️

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昔からの付き合いである夫婦の話だ。
彼らは新卒で入った会社の同期だ。何十人もいるうちの特に仲の良い面々の中に、その夫婦も私たち夫婦も入っていた。入社後の研修で仲良くなって、休みの日に遊びに出かけたし、集まって飲みに行ってはしゃべり倒したり笑い転げたり愚痴ったりした。あの時代が第二の青春といえるかもしれない。
そして今でも付き合いが続いている。この日は、旦那さんの方だけが遊びに来ることになった。
会は和やかにスタートし、家の話になった。
私はだいぶ前に夫婦の奥さんの方から、引っ越したことを聞いていた。詳しいことは場所くらいしか聞いていなかったけど、私は自分たちと同じように彼ら夫婦も、賃貸から賃貸に越したと思い込んでいた。なので何気なく、結構頻繁に引っ越しているけど、家を買ったりはしないの?と尋ねた。
すると彼は親からのお金の援助があり、一戸建てを購入したと教えてくれた。
元同僚夫婦が家を買っていたことは、事前に夫から聞くこともなく、初耳だった。私はまず驚いて、そしてなんだか、彼ら夫婦が親からの援助で都内にぽんと家を買っていたことに、衝撃を受けていた。
率直な感想として、大げさでなく、住む世界が違っていたんだと思った。そして、そう感じてしまった自分にもショックを受けた。
今まで東京で暮らしてきて、いろいろな場所から来た人たちがそれぞれの事情を抱えながら、暮らしているところが好きだと感じていた。それなのに、元同僚が家を買ったくらいでなぜこんなにショックを受けているんだろう。それに自分たちだって、マンションを買おうか、くらいの話はしているのに。
それでも、都内の駅近に広めの新築なんてまず買えない。中古マンションでも高いなぁ、と物件サイトを見たりしている。
そんな私は常々、仕事を休むか辞めるかして、2年ぐらい何も考えずに、好きなことだけして過ごしたいなぁと夢想している。でも、それを実行することはできない。奨学金の返済や日々の暮らしにはお金が必要だから。
社会の制度として、セーフティーネットが何もないわけではないとわかっている。それでも自分たちで、自分たちの生活を何とかしなくてはいけない。だから死ぬほど行きたくないけど、毎日重い気分を引きずって会社に行くし、何年も何年もそれを続けてきた。夫も同じだ。
そして彼ら夫婦もまた同じだと思っていたけど、もしかしたら、「2年くらい休む」選択ができる人たちなのかもしれない。そう思った。
思った途端に、彼らと自分たちの間に線が引かれたように感じてしまった。すごく勝手だけど。今までは、人間を社会の中での立ち位置で分け、線引きしたときに、自分たちは皆同じ線の中にいると思っていた。大学卒業後すぐ同じ会社に入社し、共働きで、夫婦二人暮らし。
けれど、実は違うところにいると気付いた。そして、これからも少しずつ、少しずついる場所がずれていって、いつしか大きく道が違っていってしまうかもしれないことを予感した。道というのは社会的な立場だけではなくて、価値観や、考え方もそうだ。だから私は、身勝手なショックを受けた。彼らにしたら、生まれるところを選べるわけでもないし、援助すると言ってきた親に援助してもらっただけだ。私の気持ちを知ったところで、じゃあどうしたらいいんだと思うだろう。誰がどう読んでもそれが正しい意見だ。それが正論だとわかるからこそ、私はこの日の気持ちをどう処理したらいいのかわからなかった。
飲み会は、にぎやかに幕を閉じた。元同僚はいつもどおり飲みまくり、愉快に酔っ払い、でろでろになって帰った。私たちの付き合いはこれからも続いていくだろう。
自分たちが持っているものを決して自慢することはない飾らない人柄。そんな彼らのことが大好きだ。
何も変わらない。だけどこの日抱いた得も言われぬ寂しさや焦燥感は確かに存在していて、それをなかったことにしたくなくてこの文章を書いた。
9月なのに真夏と同じくらい蒸し暑くて、終わりに彼を駅に送っていく道では雨がぽつぽつと地面を叩き始めていた。私たちは雨に濡れながら、話をしながら大笑いして歩いた。
楽しくて、少しだけ寂しかった。

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