そっちの人
大学に入って親元を離れても、就職して東京に住み始めても、私は地元が大好きだった。
特に就職してからは、慣れない仕事の日々にふるさとへの恋しさが増し、お盆とか正月とかのまとまった休みがあると必ず帰省していたように思う。地元のいつも晴れているところと、帰った時の慣れ親しんだ景色、それに実家の家族が大好きだった。ちなみに、過去形で書いているけど、別に今も大好きだ。ただ、あのころと今では、帰りたいという切迫感が違うんだと思う。帰省するたびに地元の友達と会ったり、実家で親や兄妹と過ごしたりして楽しかった。東京に戻る特急に乗り込むと、いつもなんとも言えない寂しさが込み上げてきてどうしたらいいのかわからなくて、じっとやり過ごして、とてもそうは思えないのに無理やり、また頑張ろうと思おうとした。
ある年、就職して2年目のことだったと思う。鮮明には思い出せないけど、たぶん寒い時期、年末年始の帰省だったのだろうか。いつものように楽しく実家で過ごし、戻りの特急列車に乗り込んだ。帰省の終わりにはいつも母親が駅まで送ってくれて、無事電車に乗ったことなんかを携帯でやりとりして、それから少し眠る。私はいつも通りメッセージを送った。無事乗れたよ、ありがとう。あっちでまた頑張るね。
そのあと母から返信が来たが、それが以前のものと少し違ったことを覚えている。私を気遣う文面の後に、「こうやって見送るたびに、だんだんあんたがそっちの人になっていくんだなと思う」と書かれていた。それを見て、さみしさとか不甲斐なさとか、理由のよく分からない色々な気持ちが一気に込み上げて、急いで返信を書いた。「そんなこと言わないで!!まだまだなまってるよ」。帰省している時は、いつものように母も楽しそうだったので、私は突然の本音に胸を突かれ、少し泣いたかもしれない。母は普段、そういう言葉を言わない気丈な人なので、不意打ちの言葉だった。
20代の自分は電車の中で、うまくいかない現実を想い、私は何やってるのかなと苦しくなったりして、その後もいろいろ考えたけど、最後には今まで通り休みには帰ろうという思いに終着した。電車で眠ったかは思い出せない。
そしてその後も、その思いの通り、休み期間には帰省した。ただ、自分や兄妹にはそれぞれの家族ができ、私は東京でもがき続け、次第に自分がいる場所を好きになったり、少しずつだけどたくさんのものが変わっていった。それはいいことだと思う。ただ、ある時期から私は、帰省していても、いつものアパートにいた方が落ち着けるし、楽しいと感じている自分に気づいていた。もちろん、地元やそこにいる家族を大切に思う気持ちは変わらない。でも自分が普段いる場所も好きで、夫との思い出、そこでできた友達との思い出、そこで見てきたものが、就職してからの自分をかたちづくってきたのも事実だった。
私の故郷はあの場所ただひとつだけど、思い出の中の場所になってしまったのかもしれない。
だからと言って、そのことがいくら寂しくても、地元に帰って生活したいというわけではないし、今いるところで自分の務めを果たせるよう頑張るしかない。分かっている。そうなんだけど。
こっちにきたばかりのころは、駅に着いてからの1本目には乗れないということもわからず乗る度にもみくちゃにされていた満員電車。職場から通いやすい場所に引っ越して、スムーズに乗れるようになった。
都会の人たちが自分が思っていたよりずっと親切で、思っていたより普通の人たちだということもわかった。今振り返るとどういうことだよという感じだけど、もっと奇抜な人ばかりが集まっているんだと思っていた。実感として、困っている時にいろいろな人に助けてもらったと感じるし、悪い意味で度肝を抜かれるような人は上京前に想像していたよりずっと少なかった。
こっちにきて、たくさんの思い出ができて、これからもこの場所で暮らしたいと思えるようになった。それだけ東京での生活に馴染めたということなのかなと思う。自分の力で頑張ってきたことの証のように感じて、うれしく思っている。
そう思う反面、時々あの日の母の言葉を思い出すことがある。思い出して、私は「そっちの人」になってしまったのかな、と考えるのだ。