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犬的思考



 部屋のソファーで主人とココアを飲んでいると

「ちょっと肩揉んでくれ」
 と言う主人。

「やだ」
 と即答するわたし。

「ちょっとでいいから」
 ジーっと睨んでくる主人。

「仕方ないなぁ」
 仕方なく揉んでやる。指が乾燥でひび割れているので地味に痛い。

「俺はあんたの肩100回くらい揉んでやってるのにあんたはそのうち1回くらいしかやらないな」

「100分の1だね。レアだ」

「足だって朝毎日揉んでやってるだろ」

 朝、寝起きの悪いわたしの足裏を主人は毎日揉んでいて、痛みで目覚める。

「それはだってあんたが足揉むの好きなだけでしょ」

「ぶっとばすぞ」

 わたしのためというよりは、揉むのが好きなのだと思っている。

「でも犬ってそうらしいよ。うんちした後に飼い主がうんち拾うじゃん? それ見て「飼い主さんは僕のうんちが好きなんだ」って思ってるらしいよ」
 
「最悪だな」

「だから「うんちしてあげたよ! どう? 嬉しいでしょ! ほら拾って!」って喜んでるんだろうね」

 犬的思考。

 相手の行動は全て相手が好きでやっていることだと思っている。
 だから、うんちを拾ってくれても「ありがとう」はない。それどころか、「うんちしてあげたよ」って思って自分を褒める。
 すごく自由で、楽観的に生きられる考え方。

「いやーわたしもさ、犬みたいに考えることの方が多いんだ。「この人は今それがしたいんだ、じゃあしていいよ! わたしもわたしで好きなことするから」みたいな。インディアンってそういう人が多いの」

「感謝がないな」

「感謝はないけど、相手のことは尊重するよ。だってうんち拾いしたいんでしょ? だからたくさんうんちしてあげようってなる」

「アホだな」

 アホだけど、インディアン同士は非常に相性がいい。
 仕事で関わる相手がインディアンだと安心する。自分の好きなことを優先しつつ、相手のことも尊重するから、適当に動いているようで、歯車がきちんと合う。

「でも感謝が薄いってことは本読んで知ってるから、だからたくさん感謝できることを見つけようって思うんだ」

 本当は犬的思考だけど、「こう考えたら感謝できるな」ってことはたくさん探しておく。

 でもやっぱり犬的思考だと気楽に生きられる。

 人間関係に疲れたら「犬だったらこう考える」と、考え方のレパートリーの1つに「犬的思考」を加えておくといい。




 
 

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