自意識過剰レベル100
「やば! 清香ちゃん、11月KAKADOでライブやるんだけど!」
御茶ノ水KAKADOは我が推しの周平くんがギターサポートで出る、月に1回行うフェスがある場所だ。そのフェスは一般客を呼び込むものではなく、アーティスト同士の交流を目的としているので、わたしは半年前から行かなくなった。というより、嫌いな奴が出てるので行けなくなった。
「KAKADOってチャラ男のところか」
「そうそう! これはあれだね、私信だと思うんだ」
「は?」
「KAKADOに行けなくなったわたしのために、清香ちゃんがKAKADOでライブしてくれると思うんだ。来てもいいよって」
「めんどくせぇな」
「絶対そうだよー! わたしのためのライブ! まじ感謝! もうほんと清香ちゃん好き!」
「あんた幸せでいいな」
自意識過剰レベル100
【自意識過剰(じいしきかじょう)とは、人が他に対して自己を意識し過ぎた状態。 他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態】
一般的にはマイナスな意味で使われることが多い【自意識過剰】という言葉。
他人が扉をバタンと強く閉めたらビクッとして、「え、怒ってる? 私のせい?」と不安になったり、目が合うだけで、「なんでこっち見てるんだろう。気持ち悪いな」と恐怖を感じたり、周りで笑い声が聞こえると「私のこと馬鹿にして笑ってるんだ」と思ったりする。
おそらく小中学校をどのように過ごしてきたかで、この自意識過剰度が変わると思うが、転校2回、友達ゼロ、保健室登校常連、イベントごとはほとんど欠席という、なかなかに人との関わりを避けまくってきたわたしは、この自意識過剰レベルは高いのだと思う。
他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる。でも、どうせ気にしすぎる性格が直らないんだったら、ポジティブに、全部全部ポジティブに捉えたらいいのではないか。
世の中は全部わたしのために「なる」。わたしのために「ある」のではなく、わたしのために「なる」。良いことも悪いことも、他人がすることは全部わたしのために「なる」
この発想を、自意識過剰レベル100という(勝手に名付けた)
「KAKADO久しぶりだなー。対バンの人も結構集客できそうな人だし、ファンの人と関われるかも。楽しみだなー」
「身内感嫌いなんじゃなかったか?」
「清香ちゃんファンは、ほんとに清香ちゃんを推してる人ばかりだから楽しいんだ。ちゃんと清香ちゃんを見にきてる人ばかり。周平くんのフェスはなんかお歳暮みたいで」
「お歳暮?」
「あるじゃん、この前こっちのライブに来てもらったから、次はあなたのライブに行ってあげますみたいなアーティスト間のお歳暮交流。欲を言えば「対バン組むとき呼んでください」っていう下心が見え見えなやつ。あれまじでなんなんだろうね」
「まぁ多少は仕方ないんだろうな。仲良くしておけばメリットがあるんだろ」
「オタク同士でやるならいいんだけどね。俺の推しアイドルのライブを盛り上げてくれたから、あなたの推しアイドルのライブもコールして盛り上げますみたいなのあるじゃん、アイドル対バンはさ」
この前行ったミツバチロックでは、主人の推しアイドルに、別のオタクが紛れてガンガン盛り上げていた。
「この次に出るアイドル、よかったら見ていってください」
そう声をかけられた主人。
「次のも見ていくから、あんたは後ろにいてていいよ」
主人に言われて、一歩後ろに下がるわたし。
次に出てきた知らないアイドルさんでも、主人は最前に突っ込んでいき、そのオタクと一緒にガンガン盛り上げていた。
ドルオタの対応力は素晴らしい。
「全体の半分以上がアーティスト間のお歳暮交流だとさ、わたしみたいなただ周平くんを見たいだけの一般客はさ、「お前らのお歳暮交流のためにチケット買わされてんのかな」みたいに思えてきて、「お歳暮は自分で買いなさい」って気分になるんだ」
「自意識過剰だな」
自意識過剰レベル100の発想である。
「でも清香ちゃん、わたしのためにKAKADOでライブやってくれるから、なんか見せつけてくれる感じだよね。「ライブとはこうである。どやぁ!」って。熱いなマジで」
お歳暮交流ライブを見るから、まともなライブがより素晴らしく見える。だから、お歳暮交流ライブをしてくれる人に感謝。周平くんにも感謝。
馬鹿にしているのかもしれないけど、受け取った本人が「馬鹿にされた。くそー! もっと頑張って集客してやる!」って思えば、それはその人のためになるのではないかと思うので、馬鹿にするときは、全力で馬鹿にする。
自意識過剰レベルが高い人は、他人の何気ない一言ですら「馬鹿にされた」と思う人たちだもの。
短所は長所に変える。
振り返れば、「馬鹿にされた」と思ったときのほうが多く、それがきっかけになり、今につながっている。
自意識過剰レベル100の発想を。
すべては、わたしのために「なる」