小説を書こうと思う
【文學界 新人賞 第131回 原稿募集】
Xに流れてきたポストに目が止まる。これだ! と思う。このタイミングでわたしが目にするのは運命のはずだ。
「ほりえ、わたしは小説を書こうと思う」
いつも通り同じ名前の主人を「ほりえ」と呼びながら、今のは【成瀬は天下を取りにいく】の成瀬風だったなと思ってなりきる。
「いつも書いてるだろ」
「違う。文學界に応募する。応募枚数は400字詰原稿用紙で70枚以上150枚以下。28000文字から6万文字だ。1日4000文字書けば15日間で書ける。もうこれしかない」
「なにがこれしかないんだよ」
「周平くんへの恩返しだ」
「その変な喋り方やめろ」
周平くんというのは、かつてわたしがギターを習っていたときの先生である。5年ほど習っていたが、それはそれは話せば長くなるほど色々なことがあって、若干喧嘩し、スッパリ辞めてしまった現在では、周平くんがサポートにつくアーティストのライブがあったら行き、ついでに会える程度の関係になっている。
というのは周平くん側の認識で、わたしの認識としては、ギターを始めてから最初に知ったギタリストであり、ずーっと見てきたギタリストであり、もっともっと活躍してほしいなと応援してるギタリストであり、紛れもなく【推し】である。と同時に、【恩を返さなければいけない相手】である。
「わたしね、5年も習ってたからね、何か恩を返したいなってずっと思ってるの」
「まぁあんたみたいな変人の先生を5年間も勤めたんだもんな。それはあんたと結婚した俺でもすごいと思う。絶対他の先生だったら無理だったと思う。よくキレずに頑張ったと思う。チャラ男のそこの部分は尊敬する」
「ひどい言われようだな」
月に2回のレッスン。レッスンは1回1時間。5年間だと120時間か。仕事以外で5年間毎月欠かさず会う相手って、なかなかいない。
「本当はさ、ギターで有名になりたかったんだ。ギター講師だけじゃなくてさ、小学校の先生とか、職場の先輩とかもそうだけどさ、人に何かを教える立場の人って、教えた人が出世して活躍することが一番嬉しいじゃん。「俺が教えた生徒なんだぜ」って自慢できるじゃん。それがさ、教わる立場である生徒が、先生にできる最大の恩返しだと思うの」
「でもあんたギター辞めただろ」
「そうなんだよ。だからこれだよ、これ!」
【文學界 新人賞 第131回 原稿募集】
スマホ画面を主人に見せる。
「これ、受賞作は書籍化するっぽいの。本になったら周平くんに渡すんだ。感謝を込めて。タダかな? タダだったらいいな。本作るの高いじゃん」
「せこいな。あんたには無理だよ」
「やってみなきゃわからないじゃん」
やってみなきゃわからない。今回がダメでも、10年後はわからない。20年後はもっとわからない。
「チャラ男のこと書くのか」
「んー、決めてない」
「決めてないんかい」
小説を書こうと思うたびに、小説ってどうやって書くんだっけと悩む。好きなことを闇雲に書けばいいエッセイとは違う。ちゃんとストーリーにしないと。
「読んだ人がめちゃくちゃやる気になるようなものが書きたい。そうだなぁー、夢を追ってるアーティストさんがやる気になるような……応援小説みたいなのが書けたらなぁ。アーティストってさ、みんなやる気ない奴ばっかじゃん」
「そうか?」
「逃げてる奴ばっかだよ。社会不適合者とか自分で言って、会社とか一般の仕事から逃げて音楽活動してるくせに、今度はその場所が居心地良くなって、新たな環境にチャレンジしたり、独立して1人で突き進むことから逃げるの。低レベルなアーティスト同士で馬鹿みたいに群れてさ。お前ら全員逃げてるだけじゃんって。守るべきものがある? お金が必要? 生活がある? 結婚して家族がいるならまだしも、偉そうなこと言う割にはみんな独身なの。守るものなんてないじゃん、超自由だよ。だいたいさ、本気で仕事してる人って、30歳前後で何かしらの結果が出て、そこそこのポジションにいるもんなんだよ。結婚したり、会社で偉くなってたり、独立してたり。そういう1回地位を確立できた人が、「じゃあ次は他のところで積み重ねるか」って音楽の道に進むと、本気でやることを経験として知ってるから上手くいくことが多いんだけど、それがなーんもなくてちゃらんぽらんに生きてきた奴が、30歳すぎてもなんの結果も出せないで「売れたい売れたい」言っててさ。全然本気でやってないよね? って、見ててイラつくんだ」
逃げて逃げて逃げて、なんにも極められないで、ぬるま湯に浸かって、果たしてそれで満足するのか。若いときはよくても、歳をとって、外見的魅力も衰えて。そのとき自分には何が残るのかを考えたら恐ろしくなる。お金があっても、人間性に魅力がなければ、人は寄ってこない。
「じゃあアーティストへの応援小説書いて、新人賞受賞するのがあんたのこれからの夢か」
これからの夢。長い夢。
「恩は返さないといけないの。わたしが有名になったら、周平くんと、今までに関わってきたアーティストさん全員紹介する。小説ってさ、筆力よりも、作者自身の経験が大事だと思うんだ。たくさんライブに行って、たくさん色んな経験をさせてくれたアーティストさんに恩を返したい。だから絶対に受賞したいの。わたし仕事はもうそこそこ地位を築いちゃったし、結婚もしちゃったし、次に進みたいんだ」
「じゃあ離婚するか」
「やめてくれる?」
【文學界 新人賞 第131回 原稿募集】
スマホ画面を見つめる。
何事も、やってみなければ分からない。