【エッセイ】嗚呼、心配性
私は心配性である。
この世界に住んでいる人たちは二通りに分けられる。心配性の人とそうではない人だ。私は間違いなく前者である。といってもほとんどの人が少なからず心配事というのはあるだろうから大体の人はその程度は違えど心配性ということになる。だが、たまに心配性とは無縁な人を見かける。財布を無くしても、試験前に全く勉強をしていなくても、映画を観る前にトイレに行っていなくても、何も気にしていないような表情で飄々と生活している。私からしたらそのような人たちは輝いて見える。ちなみに私は映画を観る前にトイレに行っていないと、トイレに行ってないけど大丈夫かなという心配でお腹が痛くなったりする。劇場内にいる人は事前にトイレに行った人と行ってない人に分けられるのである。
ここまでで薄々感じている人もいるだろうが、私の心配性はとても些細なことなのである。映画館で観る前にトイレに行っていないことでこれからトイレに行きたくなるのでは?という謎の心配をしてしまい映画の内容が半分くらい入ってこなかったり夕方にコーヒーを飲んで飲み終わった後に夜に眠れなくなるかも、、と夜になるまでソワソワしたりとあんまりしなくてもいい心配事が浮かんでくるのである。今回はそんな私のどうでもいい些細な心配事の二つを紹介しようと思う。こんなエッセイを読んでいていいのだろうかと読者の皆様を心配させてしまうような内容だが、皆様は是非、自信を持ってこのエッセイを読んでほしい。(いつも読んでくれてありがとう)
1.家の鍵を閉め忘れたような気がする
あれ?家の鍵閉めたっけ?
誰しもが一度はこの心配に陥ったことがあるだろう。鍵を閉めるという行為があまりにも無意識の中で行われすぎていて、閉めたか閉めていないかがわからなくなるのである。私は一回心配になると確認しないと気が済まないため、家まで戻り鍵を閉めたかどうか確かめることが多い。ただ、大体はしっかりと閉めているため、よっナイス戸締り!と思わず扉に向かって称賛の声を浴びせるという結果になる。
問題はもう戻れない距離まで来てしまった時である。私は年に一、ニ回旅行に行くのだがその時は家を出る前に窓やガスの元栓など、指差し確認をしてちゃんと閉めているかを確認してから家を出る。(真面目)その日は家族で伊豆に旅行をする日だった。しっかりと確認をして家を出た。しかし、目的地に向かう途中に突然ある疑問が浮かんだ。
家の鍵閉めたっけ?
気がついた時にはもう車は高速道路を走っていた。左手には太陽に照らされキラキラと光っている海が見える。普段なら旅行、海、といった非日常に心を躍らせているところなのだが、私の頭の中は玄関で止まっていた。家の鍵、イエノカギ、House keys、もう鍵のことしか考えられない、、これって、、もしかして…///(何かは知らんけど絶対違う)ただ、私の経験上大体私は家の鍵を閉めているため今回もちゃんと閉めているだろう、さすが私、大丈夫大丈夫と言い聞かせてなんとか忘れようとしたその時、ある異変に気づいた。
ポケットに鍵がある。
私は家を出る前にポケットに鍵を入れ、玄関から外に出て鍵を閉めた後は大体バッグの中にその鍵を入れるというルーティンを無意識で行っている。それなのに、ポケットに鍵があるのである。私はせめてもの抵抗として素早くバッグの中にその鍵を入れた。鍵を閉めた後にバッグの中に入れるというルーティンを数時間後に完遂したのである。よしっ!鍵はバッグの中にある。つまりいつものルーティンをしっかりとこなしている私は鍵を閉めているということになる。私は私の中の安心感という扉の鍵を無理やり開けるために方程式を成り立たせたのである。私が車の中で数学者になっている間にも車は目的地に向かって走っていた。とにかく今は旅行を楽しもう。なんかもう逆に大丈夫なような気がしてきた。試験勉強をしていない教科のテスト当日に逆にいけるのでは??と謎の自信が出てくる現象を味方につけ私は旅行を楽しんだ。
なんだかんだ鍵のことは頭の片隅にありつつも旅行を楽しんだ私は自宅に向かっていた。自宅に近づくに連れて、鍵、カギ、key、ともう鍵のことしか考えられなくなっていた。これって、、もしかして、、///(二回目だけど多分違うよ)自宅に着き、私は一目散に玄関のドアノブに手をかけた。そして一言。
よっナイス戸締り!
2.トリートメントを流していないような気がする
あれ?トリートメントちゃんと流したっけ?
誰しもが一度はこの心配に陥ったことがあるだろう。(異論は認めます)私は以前、トリートメントを付けるという習慣は持ち合わせていなかった。ただ、ニ年前からパーマを定期的にかけるようになったため、美容師さんにトリートメントをしたほうがいいと勧められ、シャワーを浴びる時はトリートメントを付けるようになった。ただ、毎日付ける習慣にはなっていないため付けない日もある。
その日は仕事が忙しく帰りが遅かった。脳が働いていないな〜と自分の疲れを自覚しながら家に帰り、すぐに夕飯を食べた。いつもなら夕飯の後、ゆっくり本を読んだり動画を見たりするのだが、そんなことをしていたらお風呂に入れなくなると思い、重い腰を上げてすぐに浴室へと向かった。いつものようにシャワーを浴び、別にルーティンにもなっていないのになぜかトリートメントをした。多分疲れている中、追加で何かをすることによって、「今日はこれもやってえらい」という幸福感を得ようとしたのだろう。いつものようにスキンケアをした後に浴室から出て、ドライヤーで髪を乾かそうとしたその時、ふと思った。
あれ?トリートメントちゃんと流したっけ?
幸福感を得るためのトリートメントが仇となってしまった。トリートメントは髪に付けてから数分置かなくてはならない。私はいつもトリートメントを付けて置いておく間に体を洗い、最後にトリートメントを洗い流しているのだが、その最後の洗い流す作業の記憶が全くないのである。髪はお風呂上がりなので当然濡れている。ただ、ベタっとしているようなしていないような、いつもの濡れた髪のような気もするし少し違う気もする。普段無意識に触っている髪の毛の感触のことなどこの期に及んで鮮明に思い出せるはずもなく、この件に関しては迷宮入りである。普段このような心配に陥った時は念のため髪の毛だけ洗いにまた浴室に戻るのだが、この日は疲れているためまた髪を濡らすためにシャワーを浴びてタオルで拭くという作業をする元気はなかった。ドライヤーで髪を乾かし始めたのだが、ゴーーーッという音が響いている部屋で私の中の天使と悪魔が囁いていた。
天使「洗い流した方がスッキリ寝れるよ?付いているかもしれないトリートメントもこのままだと取れない不安も洗い流しちゃいなよ?」(歌詞みたいに言うな)
悪魔「疲れてるんだろ〜?寝ちまえよ、どうせ明日も寝癖を治すために髪濡らすんだからさ〜この不安や心配を抱いて寝ることで明日のお前は強くなってるはずだぜ?」(だから歌詞みたいに言うな)
私は天使と悪魔の曲を交互に聴きながら次第に襲ってくる眠気と戦っていた。
「カチッ」
ドライヤーを止めて私は浴室へと向かった。今回の私の中のビルボード一位に選ばれたのは天使の楽曲だったようだ。髪にもう一度シャワーを当て、付いていたかもしれないトリートメントとこのままだと抱いて寝ることになっていたかもしれない不安と心配を洗い流した。そしてシャワーを浴びたあとはトリートメントが付いていたかもしれない状態で使ったタオルとは違うタオルを用意して髪を拭いた。これはファインプレーである。ふたたび、ドライヤーで髪を乾かし始めた私は疲れている中トリートメントをした自分と洗い流していないかもという不安に打ち勝った自分を最大限に褒めていた。ゴーーーッというドライヤーの音がファンファーレに聴こえる。(聴こえません)
今日も私は心配性を発揮しながら生きている。さて、心配事が無くなったところでそろそろ寝るとしますか。
あ、そういえば、夕方コーヒー飲んでた。寝れるかな。