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【エッセイ】ビバ、奥多摩

 事の発端は「とにかく緑に囲まれたい」だった。
 私は自然が好きだ。シティーボーイである私は都心のオシャレな街並みも、もちろん好きなのだが、どちらかというと自然が近くにある郊外の方が好きである。海か山だったら山の方が好きで、登山やハイキングは定期的にしたい。登山は自然に囲まれた環境でひたすらに上を目指すというシンプルな構造が好きで、日常で考えることに疲れた時に行くと頭と体がかなりスッキリする。また、山ではすれ違った人と「こんにちは」と挨拶するというマナーが存在し、これもまた心地よい。本来、山で何かあったときに備えて、お互い顔を覚えておくという意味で挨拶をするらしいのだが、普段、生活していて道ゆく人と挨拶することはないので、登山の時は「ああ、一人じゃない」と引きこもりは実感するのである。木の根で出来た階段、心地よい木漏れ日、ゴツゴツした岩場、舗装された木道、登り始めてから気付く虫除けスプレーの存在、買ったけど結局あまり食べないチョコレート。全部含めて登山やハイキングといった自然散策が好きなのである。
 というわけで、この夏も緑に囲まれて自然を感じられる場所に行きたいと私と彼女は意気込んでいた。
 私の彼女は長野が好きで、「夏に長野に行くのもありだねー」なんて話していたのだが、もう少し涼しくなってから行こうということになり、東京で自然に囲まれる場所、奥多摩に行くことになった。私が以前に引きこもることに疲れたのか、「緑!ミドリーみどり!あー緑!グリーン!」と、とにかく自然に囲まれたくなって行ったことがある鳩ノ巣駅から徒歩5分くらいの鳩ノ巣渓谷に行くことになった。私が以前行った時は渓谷で一通りぼーっとした後に写真を撮り、近くのカフェで読書をして帰ってきたので、散策はしていない。渓谷からもっと奥に行くと鳩ノ巣駅から二駅先の奥多摩駅まで川沿いの遊歩道を歩きながら散策することができるようなので、私たちは自然の中を歩きに行くことにした。ただ、私がいったカフェがとてもよかったので奥多摩駅までは行かず、ある程度散策したら鳩ノ巣駅の方に戻り、カフェに行くことにした。川の音を聴きながら優雅に散歩をしてカフェで朝ごはんという非日常なお出かけに私たちはワクワクしていた。そしてカフェのオープン時間と散策の時間から六時半ごろに起床して七時半くらいに家を出ようと彼女と約束し、就寝した。

 次の日のバッチリと目が覚めた二人はすることがなかった。え?何時に目が覚めたって?四時半ですよ、四時半。昨日、ものすごく早く寝たわけでも、ワクワクして寝れなかったわけでもない。普通に四時半ごろ二人とも目を覚ました。あまりにも早起きしすぎたことにテンションが上がっていた私は「朝じゃない?これ、めっちゃ朝じゃない?」とギャルのような口調で当たり前のことを連呼していた。流石に出発時間まで家にずっといるのも余裕がありすぎるので、六時過ぎに家を出ることにした。私たちのデートは予定を変更することが度々あるのだが、その変更を存分に楽しむのも醍醐味というやつである。本来鳩ノ巣駅で散策をしたのちに朝食兼昼食を十時頃にカフェで食べる予定だったが、予定を変更し、鳩ノ巣駅に行く途中の駅で降り、パン屋さんで朝食を済ませ鳩ノ巣駅に着いてからは自然散策をしながら奥多摩駅までしっかり歩き、奥多摩駅から電車に乗って帰る道中でお蕎麦屋さんで蕎麦を食べるというスケジュールになった。当初とかなり変わってしまったが、予定よりも長めの自然散策と美味しい蕎麦という旅行のようなラインナップになり私たちのテンションは上がっていた。その結果、電車に乗ってる道中、本来起きる予定だった六時半のアラームが鳴りはじめた頃にはお昼過ぎの一番元気に活動する時間くらいには出来上がっており、まだ早朝の電車で眠そうな人達とのテンションの差は渓谷のようになっていた。
 向かう途中の駅で降り、パン屋さんで大きめのパンを二つ食べて、一つでも良かったかもと血糖値上昇させながら鳩ノ巣渓谷に向かった。

 鳩ノ巣駅に八時半頃に到着すると日はすでに高く昇っており、気温も高くなっていた。山に囲まれた線路と道路くらいしかない場所で蝉の声が鳴り響き、私達は夏を感じていた。渓谷の吊り橋に行くと、激しくも煌びやかに流れる川の音が聴こえ、どこを見ても緑で、自然と一体となったような感覚になった。上がっていた血糖値も落ち着きを取り戻し、すべての感覚を自然に委ねた。テンションが上がった私が吊り橋の上で両手で丸を作り望遠鏡で遠くを見るかのようなダサめのポーズを披露した後に、私達は散策を開始した。
 川を横目に狭い砂利道をとにかく歩いた。これといって特別なことはない。ひたすらに呼吸をしてひたすらに歩いた。普段パソコンやスマホの画面か鍵盤と睨めっこをしている私にとっては生きていることを強く実感する時間である。途中目の前に現れた大きめの虫をダサめの必殺ガニ股屈みで避けながら軽快に歩いて行った。着ている肌着を飛び出してTシャツに汗が染み込んできていた。ただ、日向と木々に囲まれた日陰をひたすら繰り返して歩く道中は気持ちよく、ペタペタする汗も心地よく感じるほどだった。
 しばらく歩いていると、さっきまでの川沿いの砂利道とは一変して、田舎によくあるような車が走る通り沿いの歩道に出た。どうやら奥多摩駅までの遊歩道は途中までで、奥多摩駅に着くためには普通の歩道も歩く必要があるみたいだ。「おいおい〜聞いてないよ〜」と弱めのツッコミを入れつつ駅を目指した。時間もお昼に近くなってきてさっきまでと打って変わって照りつける太陽に晒されながら日陰もない道を私達はひたすら歩いた。地面からの熱もジリジリと体力を奪っていく。彼女が出してくれた日傘がなければ今頃私は干物として奥多摩名物になっていたことだろう。
 なんとか奥多摩駅に辿り着き、私達はタイミングよく本数の少ない電車がちょうど到着したところに乗ることができた。ガラガラの車内で冷房が一番当たりやすい席を探しつつお蕎麦屋さんに向かって出発した。あんなに苦労してたどり着いた鳩ノ巣渓谷から奥多摩駅の道のりを五分程度で通り過ぎた時に、今日何やってたの?と聞かれたら、「二駅歩いた」と運動不足解消のような回答しかできないなぁとぼんやりと考えながらしばらく電車に揺られた。
 お蕎麦屋さんに着いて、席に座った時には汗は引いていて心地よい疲れに包まれていた。せっかく頑張ったのだからと野菜やお魚の天ぷらとざるそばのセットと瓶ビールを注文した。古民家のような雰囲気ある店内で疲れた体に少し小さめで薄めのグラスに入れたビールを流し込む。おそらくこの時間、世界で一番美味しいビールを飲んでいたと言っても過言ではない。あ、彼女もいるので一位タイですね。蕎麦と天ぷらがが来てからはほとんど記憶がない。あまりの美味しさに夢中で箸を進め、気がついたら蕎麦湯を飲んでいた。その蕎麦湯もとても美味しく、おそらくこの時間世界で一番美味しい蕎麦湯を飲んでいたと言っても過言ではない。あ、彼女もいるので一位タ…(以下略)ちなみに、そこのお蕎麦屋さんは有名だったようで、お店を出る頃には行列ができていた。たまたまオープン直後に入ることができたため、すぐ食べることができた。早起きをするとこういったことで得することが多い。
 ビールと天ぷら、蕎麦は大盛りで食べて本日二度目の血糖値上昇を感じながら家に帰った。ただ、一日はそこで終わりではない。そう、まだお昼の十二時にもなっていないのだ。(衝撃)
 家に一旦帰った後に、私達がよく行くスーパー銭湯に行くことにした。自然散策中に実は計画を立てていたのだ。自然散策、ビール、蕎麦という旅行のようなラインナップに温泉が追加される。完璧だ。何がとは言わないがもはや一位タイである。
 各々二時間くらい温泉やサウナを楽しみ、疲れを癒した。自然の中を歩いて、蕎麦とビールを嗜んできましたと言わんばかりのすまし顔で浴場に入場した私は、その疲れをお湯に流しながら優越感という名の温泉に首まで浸かっていた。
 お風呂を出た後は、コーヒー牛乳を飲んで締めくくった。これに関しては自ら血糖値を上昇させにいっている。

 出来事としては二駅分歩いて、蕎麦を食べてビールを飲んで銭湯に行ったというありそうな一日ではあったが、電車での長い道のりと奥多摩の自然、程よい疲れが一日の充実感を何倍にもさせた。そんな充実感を引っ提げて私達は就寝した。さて、今夜はぐっすりだ。
 「あ〜よく寝た!おはよう!」(AM5:00)

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