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「転ばぬ先の杖」を準備しすぎてしまっている大人たち

高校2年生の頃、自転車に乗って下校していた時のことです。
突然、「ハンドルの右グリップと左グリップをそれぞれ逆の手で握って(腕をクロスするようにして)運転することは可能なのか?」と考えてしまい、運転中に実践したところ、秒で大ゴケして軽く怪我をした かつやです。
(誰でもこの経験してますよね?笑)
(こけた後、すぐに当たりを見渡し、誰にも見られていないことを確認。笑)

僕はこの経験によって、「ハンドルのグリップを逆の手で握って運転するとコケる」ことを学びました。
(良い子は真似しないでね!)

大人は「試行錯誤することは大事だ!」と口では言っているけれども、実際のところは「転ばぬ先の杖」を準備しすぎてしまっているんじゃないですかねぇ。


子どもって、本来は好奇心旺盛で、探究心も旺盛で、主体的な存在です。

それを大人が、
ちょっと転んだだけなのに大袈裟に「大丈夫?痛いところはない?」などと声をかけて手を差し伸べてしまう。
(めちゃくちゃ危険な転び方だった場合は別だが)

公園の遊具で遊んでいるときに、他の子どもと使いたい遊具が重なってしまったときに「お友達が使ってるから後にしようね」などと親がすぐに促してしまう。

兄弟や友達と喧嘩していると、すぐに仲裁に入って問題解決をしてあげてしまう。

子どもは、
転んだことから、「転んだら痛い」と学ぶだろうし、「なんで転んだのだろう?」と考えるだろうし、「こうすると転ばないかも」と推測するかもしれない。

他の子どもと使いたい遊具が同じだった時に、「どういうふうにこの遊具を使おうか?」と考え、その子と対話して、使う順番を決めるかもしれない。

喧嘩すると後味が悪く、その後も引きずるのが気持ち悪いと感じて、「この状況をどうしようか?」と考えて、改善に向けた行動をとるかもしれない。


こうなるかもしれないし、ならないかもしれない。
でも子どもは本来、主体的な存在なので、「自分でどうにかしてみたい!」という想いを持っているものです。

親は「危なっかしい!」と思っていても、子どもは自分で2リットルのペットボトルを冷蔵庫から取り出して、自分でコップに注ぎたいんです。


大人は「失敗(orチャレンジ)から学ぶチャンス」を、子どもからあまりにも奪いすぎている。

親もおじいちゃんやおばあちゃん、そして教師も。
子どもが可愛くて、だから「失敗させたくない!」という気持ちはわかる。
「悲しい気持ちにさせたくない!」という気持ちも。

でもそういう想いで「転ばぬ先の杖」を準備しすぎると、本当の意味で可哀想なのは「子ども」です。

「転ばぬ先の杖」を使いまくって育ってしまった子どもたちはどうなるか?
(親の言うことを聞き、先生の言うことを聞き、与えられることに慣れきってしまった結果)

「自律できなくなる」が正解です。

言うことを聞いて、転ばずに育ってきた結果、もしも何か失敗してしまったり、上手くいかなかったら、すぐに「誰かのせい」にするようになります。

寝坊して遅刻した。お母さんが起こしてくれなかったせいだ。
宿題を忘れた。「宿題は持ったの?」と声をかけてくれなかったせいだ。
テストの点が悪い。わかりづらい授業のせいだ。
部活で良い結果が出せない。顧問の指導が悪いせいだ。

子どもの頃から大人が「転ばぬ先の杖」を準備しすぎてしまうと、子どもが自律できなくなり、壁(トラブル)を乗り越えられない人間に育ってしまいます。


じゃあ大人はどうすればいいのか?
それは「しっかりと見守る」ことや、「困ったら助けられるよ」という安心感を与えてあげることなんじゃないかと思っています。

決して「放任」とは違います。


子どもたちが「生きていきたいように生きる力」を育んでいけるように、
「転ばぬ先の杖」を準備しすぎない大人でありたいですね。


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