愛と恋の天秤比
道を歩いていると小石にぶつかる事があり、容易くそれは他の石などの元へ行く。それが恋人にたどり着けた風に見えて嫉妬してしまった。
さてこの嫉妬家はまだ暑い家の中で長年考えていた事をこれから述べよう。「愛と恋の違い」についてである。
当然これらは大層曖昧な概念及び感情であるから、正解ではなく一個人の思想を述べている。
恋について
君達は恋をした事があろうか。恋だ。あの、特定の女や男を見ては心が締め付けられ、同時に長持ちする多幸感に包まれる心的特殊状態だ。
恋の始まりといえば様々なものがある。とにかく五感から相手を初めて知り、そこから経過したてか長い後には、やっと自身の好意に気づくものである。
アニメの様に電車で同級生に遭って彼の美顔に気づいたのかもしれないし、三年を同教室で過ごし、卒業の間際にやっと彼女への欲求に気がついたのかもしれない。
私自身三回の恋を経てようやく気付いたのだが、恋の初め、並びに恋の前後全てで「所有欲」を抱いている事に気がついた。
彼女を自分のものにし(ておき)たい、自分だけが持っている、独占状態に酔いしれたいという感情が欲には込められていたのだろう。
理由としては、おそらく未知である彼や彼女を気に入り、更に心などを知る事で味を深めようという考え方であろう。知らない事は勿論、それが彼女のものであったなら尚更知りたくなる。
他には、自分が気に入った人間、それは通例珍しいものである。プライドもあるが、自身に「刺さる」人間はあまり会うことがない。そんな人間に出会ってしまったなら、二度と会えないのを恐れ自分の側におきたくなるだろう。さながら宝石品の様だ。
愛について
まぁ友愛や親子愛、ゲーム愛など様々なお仲間の愛が存在するがここでは「恋愛」に於ける愛を指す。だが、恐らく友愛なども私の定義に当てはまっている。
というのも定義は「共有欲」である。先程と違い向こう側も愛情を抱いている必要が出て来たのだ。まぁ友愛や親子愛などは彼我、親子間互いに愛する事が一般的だ。だがゲームとプレイヤーの中にも愛はあると個人的に思っている。「ゲームを愛しゲームに愛された男」という個人的キャッチコピーの存在自体による。
まとめ
恋は「所有欲」・愛は「共有欲」と散々くどくどつらつら述べてきた訳だが、例とキャラクターを以って二つを簡単に比較し説明する事が出来る。
「君は僕のもの」→所有の恋
「あたしの側から離れないで」→近所の恋
「誰にも触らせたくない」→純粋の恋
「飽きるまで一緒にいよう」→未知の恋
「愛してる」→提示の恋
「君じゃなかったらダメだったんだ」→代替の恋
「本当バカみたい」→短所の恋
「まるで空気ですよ」→既知の恋
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