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■悪の組織の親玉に転生したけど、そんなことより温泉入りたい■

 拝啓
 父さんお母さん、突然旅立つ不幸をお許しください。

 一人温泉旅行やら一人スイーツバイキングやら、結婚もせず遊び呆けて最後まで心配をかけてしまい申し訳ありません。
 まさか、温泉旅行にでかけた矢先にトラックに轢かれてしまうとは思ってもいませんでした。
 いつしか悲しみは癒えると思います。兄夫婦とこれから生まれてくる孫を生きがいに末永く暮らしていただければ幸いでございます。
 そんな私の近況でございますが……。

 カッコン。
 ししおどしの音が響く深夜の温泉。

 源泉かけ流しの露天風呂。効能は自律神経不安定症、不眠症、うつ状態、冷え症、末梢循環障害、軽度高血圧などなどなど……。
 虫の鳴き声しか聞こえない静かな風呂で一人ゆっくりと湯に浸かる。
 これぞ人生の至福、人生の極楽。

「あ~~~~~~、天国かよ……」
「エルヴィーラ様、そろそろ侵略計画をですね」
 真っ青な肌のメイドさんがタオルを持って私をじっと見下ろしている。
「え~~~めんどくさ~~~い。キキルも一緒に温泉入ろうよ~~~~」
「お断りします」
「ぶーぶー」

 どういうわけか転生しその世界で悪の地下組織の親玉としてのんびり温泉ライフを満喫しています!

「ようこそお越しくださいました。ごゆるりとお寛ぎください」
 受付のお姉さんが斜め45度のきれいなお辞儀をするのを後ろから眺める。
 カウンターの向こうでは小綺麗な老夫婦がにこにこと部屋の鍵を受け取っている。

 受付の奥にある控室の窓からはお姉さんの後ろ姿が見えているわけだが、着物の隙間からはなんだかごん太い鱗質のしっぽが見えている。
 まあカウンター越しで老夫婦からは見えないのでヨシとしよう。

「エルヴィーラ様、今月の売上ですが……」
「ああはいはい。えーっと、光熱費がこれくらいでタオルリース料がこれくらいで……」
「野菜が高騰していますね。これから冬に向けて野菜の消費も多くなりますので、メニューの修正も検討しましょうか」
 領収書やレシートの内容をパソコンの帳簿ソフトに取り込みながら、あれやこれやと次の月のお金の使い方を決めていく。
「できれば地産地消で農家さんにもお金回したいけど、どうにもならなかったら作るかぁ」
「そうですね。魚の在庫も少ないですし、帳簿整理が終わったら取り掛かりましょう」
「はぁーい。あれ、なんかこの部屋ずっと同じ人が泊まってんね」
 宿泊予約と宿泊済みのリストから宿泊料金の計算をしていると、ずいぶんと長いこと泊まり込んでいるお客さんがいることに気づく。
「湯治で宿泊されてる方ですね。半年前にも湯治に来られてましたよ。何でも交通事故の後遺症を治したいとか」
「へぇ、大変だねえ」
「結構お若い男性の方でしたね。宿泊が長いので不躾かとは思いましたが、それとなく他の従業員を向かわせて聞き出しました」
「ふ~ん」
「興味なさげですね」
「うん。興味ない」
 若い男っていわれてもピクリとも食指が動かない。転生前もお一人様サイコーで遊び歩いてたクチだ。
 湯治に来ているとかいう若い兄ちゃんのことは置いといて、視線を帳簿ソフトに戻す。
「あれ? なんか地下の培養施設のエネルギー消費量上がってない?」
「先月消滅した従業員の補填のために怪人生産量を倍にしました。通常生産量では今月のシフトが回りませんので」
「いつもの鉱山で結構派手にドンパチやっちゃったしなー」
「はい。下級戦闘員100名、オオカミ級怪人10名、ヒグマ級5名が殉職ですね」
 帳簿に殉職した怪人たちの数量を打ち込んでいく。
「補填は済んでる?」
「はい、培養施設での生産は終了して、すべて学習と配置は完了しています」
「おっけおっけ。ヒーローチームの方の損害状況わかる?」
「偵察ドローンからのデータによれば、スタージャスティスが全身打撲で全治2ヶ月、ホーリーサージェントが全身火傷で生死の境をさまよっていたようですが惜しくも生還したそうです」
「むー……2人しか戦線離脱してなーい。めーんどーくせーーー」
「ですが、アプリコットワンダーは結局半身不随からは回復せず、後方支援に回されたという情報もあります」
「あれだけ念入りに潰したのに、それでも後方支援か。悪あがきしないでさくっと引退しちゃえばいいのに」
「ご尤もです」
 宿と組織の帳簿をつけ終わり、畳に盛大に転げて文句を垂れる。

 転生前の記憶が戻ったのは、物心ついたころ。というか赤ん坊のときからすでに私は『私』だった。
 悪の組織の大首領と女幹部との間に生まれた私は、父親がヒーローチームとの大決戦の末に大怪我を負い引退したのを期に、首領の座についた。
 父親は引退したあと、母親と念願の宇宙旅行にでかけてしまいよろしくやっている。

 たまに頭のでかい脳みそだけの異星人やら、どぎついピンク色の空をバックに仲良くしている自撮りが送られてくるので、まあ元気なんだろう。

 両親がそんな感じなもんで、私は私で首領の座を引き継いだあと好き勝手よろしくやることにした。
 その一つが温泉宿の営業である。

 転生前の趣味の一つが温泉巡りだった私は、いつでも自由に入れる絶景の温泉地を日本各地につくり、そこを拠点として組織を拡張していくことにしたのである。

 ……というか温泉好きそうな幹部たちとひっそり温泉掘り当てて楽しんでたら、お目付け役のキキルが商売っ気というか怪人気質を出して温泉宿とその地下に組織の支部を作るなんてプランを立てちゃって、またそれが面白そうだったからつい実行する運びとなったのである。
「まさか温泉宿の地下階層に組織の基地があるとは誰も思わないでしょう」
 とは、キキルの弁だ。

 キキルは父親がヒーローチームと大決戦を敢行したせいでほとんど壊滅状態だったうちの組織の中で、なんとか生き残った少数の幹部怪人だ。
 私のお目付け役というかお世話役でもあったので生き残って私について来てくれるのは嬉しい限りである。

 疲れ目で青肌美人のキキルを見ていると、長いつるりとしたしっぽがピクリと動くのが見える。
 同時に温泉宿の周辺を異様な気配が取り囲んだ。周辺の体感温度が一気に下がっていくのを肌が感じる。
「キキル」
「はい」
 ヒーローチームの襲撃、ではない。
 あいつらはそもそもこんな陰気な気配を発していかにも襲いますよな雰囲気を醸し出さない。
 面倒くさいことにあいつらはいつだって公正明大で太陽みたいに輝く存在だ。
 ということは何も知らずに悪さをしようとしている同業者か……

 玄関を見やれば開け放たれた扉の向こうには異様な風体の輩どもの影がいくつも見える。

 にわかに慌ただしくなったロビーでは、従業員もとい怪人たちがお客さんを避難させつつ警戒体制をとっている。
「地下施設がバレては面倒ですね」
「さてどうすっかなぁ」
 宿にはさっきの老夫婦や湯治に来てる若い兄ちゃんとやら以外にもお客さんがいる。
 まずはお客さんを外に避難、いやむりだな。
 部屋から出ないようにといっても襲撃の人数的に被害を出さずにいれるかどうか。

 異様なバルクを持つ浅黒い肌の大男が、のっそりと玄関をくぐってくる。
 たった一人で乗り込んできた大男と対峙して、私とキキルの間ににわかに緊張が走った。

「ご……」
 大男が声を発する。果たして占領宣言か宣戦布告か。
「5人まとめて泊まれる部屋は残ってますか?」
「うん?」
「あの、終バスをのがしてしまいまして、このままだと野宿になってしまうんです」
「え、っと……」
「かしこまりました、お部屋の状況をお調べしますね」
 さっと空気を変えて受付に走ったのはキキルだ。
 キィを軽快に叩いて部屋の空き状況を確認しはじめる。
「す、すみませんがしばらくお席でおまちいただけますか?」
「頼む……」

 なんだ。どっかの組織の構成員が任務帰りに終バスを逃したということらしい。
 わざわざ襲撃して宿を占拠する暴挙に出ずにいるあたり、それなりに規律のしっかりした組織なのかもしれない。

 少しだけ警戒態勢を解いてキキルを待つ。しばしの沈黙。

 2,3分くらい立った頃、いかにも風呂上がりの若い男が通りかかる。
 交通事故の後遺症で苦しんでいる若い男とはこの人のことか。
 他に若い人が一人で泊まってないし、ほぼ間違いないだろう。
 と、大男をよそに頭の片隅で考える。

 風呂に入っていたせいか従業員たちも気づかず、部屋への誘導もできなかったのかもしれない。
 なんというか間が悪いのかなんなのか……

 若い男は大男には劣るものの背が高く筋肉のついたまあいい体つきをしている。
 癖のついた茶髪に、彫りが深めの整った顔立ちをしているのになんだか剣呑な目つきが残念だ。もうちょい目元が鋭くなければたいそうモテたろうに。

 というか、あの風体は交通事故の後遺症で苦しんでいる……ようにはちょっと見えないんだよなぁ。

 若い兄ちゃんが大きなあくびをしながら大男の前を通り過ぎようとしたその時、大男がカッと目を見開いて勢いよく立ち上がる。

「貴様はスタージャスティス!」
「秘密結社BOD!?」
 大男の怒声に、若い兄ちゃんがしゅばっと距離をとり見慣れたファイティングポーズを取る。
「怪我で引退したはずじゃなかったのか!?」
「星の輝きある限り、俺は不滅だ!」
 つい先月、さんざっぱら見たファイティングポーズだ。
 この若い兄ちゃんがスタージャスティスだったとは。
 若い男とかいうのに興味がなさすぎて全く気づかなかった。

 よく見ればあの剣呑な目つきは、マスク越しでもはっきりと判るスタージャスティスの鋭い目つきによく似ている、ような気もする。

 ていうか先月の戦いで思いっきりバックドロップ仕掛けてやって、見事に脳天打ち付けてたんだから首の骨の一本でも折れてればよかったのに。

「女将、下がって。お前たち、何が目的でここに来た!」
 何故かそっとスタージャスティスの背後にかばわれる。あ、一応一般人だと思ってるのね。そりゃそうか。
「貴様が知る必要はない!」
 一触即発の雰囲気の中、部屋の空き状況を調べていたキキルが戻ってくる。
「そちらの方は終バスを逃して宿を探している最中だそうです。無用な争いは避けていただけますと」
 キキルさんそれ言っちゃだめなやつです多分。

 大男がギロリとスタージャスティスをにらみつける。
「聞かれてしまっては仕方がない。ここで会ったが百年目! 今ここで貴様の息の根止めてくれるわ!」
「終バスを逃しておめおめと情けなく宿に泊まろうとするお前たちに負けるわけねえんだよ!」
「気にしてることを!!!」
 ばちり。スタージャスティスと怪人の間に電撃が走る。
 おいおいおいおいおい。こんなところで変身&大立ち回りする気か。

 冷や汗をかく私をよそに、男どもは臨戦体制になると一瞬で外へと飛び出した。
 あああああこだわった赤絨毯が、応接椅子が、掛け軸が、バカどもの巻き上げた風で吹っ飛んでいく。

 というかライバル組織も正義のヒーローもここでは無用の存在だ。
 そもそも私の心のオアシスに土足で上がり込んで来るなという話で。

 私はキキルが音もなくスッと差し出してきた中華鍋を片手に外へと繰り出す。
「…………っざけんなーーーーーーーー!!!!」
 静かな温泉宿の玄関に、私の怒声とバカ2人の脳天に中華鍋を殴打するいい音が響き渡った。

 ー了ー

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