映画 こんにちは、母さん 続き
本作で息子役を演じた大泉洋さんの演技が秀逸だった。
大企業の営業部長。
親友に対して退職に近いことをしなければならない。
友情との狭間で、もがき苦しむ姿を見事に演じている。
そして、最後は・・・
亡父は不器用な人間だった。
母から聞いた話だが、ある時、上司に呼ばれ退職者リストを作成するように命じられたという。
父は、その退職者リストの最後に自分の名前を書いたという。
それを見た上司は慌てて、慰留に努めたがガンとして父は引き下がらなかったという。
その話を聞いた母は、父をなじったという。小さな私をかかえて生活はどうするのかと
父は寡黙を貫き通した。
その頃の私は、幼稚園にも通っていなかったが、大好きな父が毎日家にいて、毎日畑作業に付いて行き、そばで遊んでいた。何も知るよしもない私は毎日が楽しかった。その時の思い出は今も脳裏に焼き付いている。
私は、行財政改革のもと、6人の部長と12人の副部長ポストを削減したことがある。
ただ組織肥大化による責任転換や責任逃避が頻繁に起こるようになり、組織マネージメント上、許せなかった。
効果は抜群で、それまでのビルド&ビルドの組織風土が一気にスクラップ&ビルドが定着するトリガーになった。
しかし、3年もかかった。
最後の年は、目の前の上司の夢を打ち下すことになる。
激しい議論が続いた。
議論をしながら、この人の夢は部長になることだったんだと気付かされる。
刹那な思いを押し殺し、断行した。
そして、時は流れ、トップから私の携帯に連絡があった。「来年は、部長職につけるので頑張って働いて下さい」という内容だった。
翌日、私は退職願を出した。
私の信条は、何になるかではなく、何をしたかである。
そして、6つの夢を奪った私が無神経にそのポストに座るわけにはいかない。
そうだろう、父さん
私は貴方の子どもなのだから
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