見出し画像

情けは人の為ならず

父がよく言っていた言葉の一つである。
人の為に無償で動く父を見ていて、聞いたことがある。
なぜそんなに人の為に動くのかと
父は、そんな時、必ずこの言葉を言った。そして、人の為にいいことをしたら必ず返ってくる。それが自分でなくとも息子のお前や母さんに返ってくる。
確かに父が死んで、何度も返ってきた。
なるほど、確かにである。
ので私もいつしかこの言葉をつぶやくようになった。
「情けは人の為ならず」と

今般、あるプロジェクトの案件で帰省した。
その中である項目にクライアントがこだわってきた。しかもビジネス度外視である。下手をしたら儲からない。
でも執拗にこだわってきた。
不思議に思っていると、会議終了後、そのクライアントからメールが入ってきた。
「2人きりで食事できませんか」と
すぐに明日の夜ならと返す。
そして、その食事会でそのクライアントは切々と語り始める。
「私の夢は、プロジェクトの結果ではなく、それが立ち上がった時にあなたを受け入れる受け皿を作っておくことです」
闇雲のような話である。
クライアントは続ける。
「あの時、突然、あなたはやってきて、私を信じて私の話にのってくれと藪から棒に言われた。
あの当時、当社はターニングポイントにあった。瞬間的に話を聞いて、『これだ』と思った。そして話は進んだ。しかし、途中から色々な邪魔が入った。その中であなたがどれだけ苦労をし、ひたすら耐えながらも、それでもなし得てくれた。その話を間接的に聞いていた。何かできないかと悩んでいたが、かえって迷惑をかけてはいけないと静観させていただいた。
あのおかげで当社は上昇気流に乗れました。オープニングの時、スミの方で笑顔のあなたが来てくれていた。感謝の言葉を申し上げた時に、笑いながら、『シゴトですから』とだけ申された。そして、普通ならどこかでその恩を返せて言われても致し方ないのだが、あなたは全てを引き受けて黙って去られてしまった。文句ひとつも言うでもなく。私の人生の中でひとつだけ悔いがあるのは、あなたという宝を当社が傷つけたのではないかと」
そんなに思っていたのか・・・
「いえいえ、そんなふうに思っていただけるのはありがたいですが、協力いただいたことで多くの方が幸せになりました。むしろ、私の口車に乗ってくれたことに感謝です」
だがクライアントも引かない
「どうか私に恩を返させてください」と
人は知らない間に、相手の肩に重い荷物のようなものを背負わせてしまうことがあるのかと思った。
この荷物をおろしたくなった。
「わかりました。このプロジェクトは必ずや成功させましょう。でも、成功しても、私がその役に就くかは、その時に改めて話しましょう」と返し、別れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?