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空(くう)の話

かつて「会館」と呼ばれた五井野博士の書斎があった建物は、現在は向日葵の友人の親族の名義になっています。
友人が古い書籍や資料、原稿等の山を丁寧に片付けているのですが、片付けは遥かに終りそうにないといいます。
五月中旬、猫の浮世絵を貸してくださった友人から「猫と、犬の浮世絵展」の最終日の宿泊の予約を頂きました。
それなら翌朝に展示を片付け、お借りした浮世絵を返却出来る、と、いつも浮世絵の額装をして頂いている職人技の向日葵の友人にも宿泊して頂くことにしたのです。
その友人から宿泊の前々夜に突然「助けてくれ」と電話が来たのでした。

友人の話です。
会館の道路側の木の枝が道にはみ出していてトラックに触れるので、大事になる前に枝を伐採して欲しいと、然るべき所から連絡が来たそうです。
友人は手の届く限りの枝を伐採していると、建物の中から盛んに子猫の鳴き声がしたといいます。
玄関は鍵を掛けてあるはずなのに、ある部屋に入ると何故か子猫がいたのです。
友人は子猫を外に出そうとしますが、友人は顔が怖いので子猫は逃げて何処かに隠れてしまいました。
よくよく探すと、何十年前に仕掛けたものか、書棚の裏に置いてあったトリモチ式のネズミホイホイの中に入っていて、尻尾だけ出していたのです。
で、ホイホイを開けると強いネバネバに座ったきりの子猫と、その下にはネズミであろう何体かの骨格標本が貼り付いていたとか。
粘性は弱くならないのだな、と感心した友人、子猫をホイホイから剥いで糠(ぬか)で丁寧に洗い(youtubeで得た知識だそう)、安心して喉を鳴らすまで掌で抱いていたそうです。
逆に子猫に懐かれ寝かしてもらえない友人から私がhelpの電話を貰うのです。

会館で救出された子猫

こうして「猫と、犬の浮世絵展」と入れ替わり、一時的にですが、家族が一匹増えました。
「空(くう)」の名は友人が温泉に入って閃いたそうです。
やはり名湯です。
我が家には「風太(ふうた)」というシェパードに似た雑種がいます。
仏教五元素・地水火風空で言えば風の次は空、と。
それに茶トラの子猫には、背中の左右に大小ふたつ天使の翼のような白抜きがあるのです。
なので天空から降りてきた「空」。

夜遅く到着した猫の浮世絵の友人、向日葵の友人、そして我々夫婦とささやかなパーティーです。
陽だまりさんから向日葵の友人が頂いた、貴腐ワインのようなBeauMichlleのとても甘くて美味しかったこと!

そして酒が入った向日葵の友人の話。

地水火風は空より生じる地球上の物質界の諸現象。
地水火風の諸現象を一次元上げた、地水火風の根源たるのが空。
翼のある猫と言えばスフィンクス。
(違います。スフィンクスはライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持つ怪物です、と突っ込めない私。)
スフィンクスのなぞなぞ『朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足、これ、なんだ?』 の答えは人間。
だけど僕が学んだ意味合いは少し違う。
三本足は老人の杖ではない。
五井野博士は高校の頃すでに空飛ぶ円盤の原理を知っていたという。
三種の磁場と意志力で飛ぶ。
そして1億円あれば実際に円盤は作れる、と。
だからUFOブームの頃、実際にUFOを目撃した博士の父親の友達が「タッチャンが作ったんだろう!」と家に来た話を博士は笑い話にしていた。
笑えなかったけど。
博士は後にアダムスキー型円盤の写真を見て、円盤の下の3つの丸いものは磁場発生装置とすぐに解った、と。
だから三本足は三種の磁場。
夕とはその人の地球上の学びが終了する頃、あるいは地球やその文明の終末。
夕に人は宇宙へ向かう、という意味。
その人の地球での学びが地水火風と一周したなら、次は空へ向かうべきなんだ。
じゃないと永遠に地球という監獄、この物質世界に閉じ込められる。
これが永遠の死。スフィンクスに喰われる訳じゃない。
人の顔、天の翼、餓鬼界の獣の体で、地球という地獄の門番をしているスフィンクス。
そのスフィンクスをクリアする、まるで人天道(にんてんどう)のサバイバルゲームだな。

2001年か、来日した宇宙船ミールの元船長ソロヴィヨフさんと博士の共同講演があった。
会館を片付けていたらその聴講者のアンケート感想文が出てきたんだ。それで思い出した。
博士はその講演で、星が誕生して40億年位経ったら、その星の知的生命体は自然に宇宙へ向かう、と仰っていた。
なら何故地球人は宇宙へ向かわない?
向かえないんだ。
この地獄の一番上、一丁目にいるのが蛇、と博士は僕達に浮世絵を用いて教えた。
蛇は二枚舌。嘘をつく。
この世界のあらゆる学問、政治経済、あらゆる事が嘘。
その嘘は彼等にも掛かるんだ。
だから宇宙との調和から切り離されて、独自世界を創っているのが地球。
閉じ込められているから、人口削減して住みやすくしないといけないから、一丁目の蛇が戦争やいろいろを起こす、とも考えられる。
博士は科学者だから、宇宙への道を繋げるために、ニュートン、アインシュタインの間違った物理学を正していた。
それは博士の著作でも解るでしょ。
また会報の、博士の最後の原稿では博士は仏教者の立場として宇宙への道を綴っていた。
続きのある原稿だった。
もう少し早く発見されていたらなぁ。

講演後のアンケート感想文の一部

さて、すずらん颯の夏の浮世絵展は役者見立東海道五十三驛(通称・役者東海道)の前半です。
若い頃から博士の会員だった方から、このシリーズの浮世絵が初めての浮世絵との出逢いだった、とよく伺います。
向日葵の友人曰く、「平成元年の研修会で、博士は突然この役者東海道のシリーズをテーブルに広げ、その時参加していた会員全員に1枚は選ばせ持たせた。
僕が最初に持った役者東海道もこの時だろう。
美人画だと喜んだけど、歌舞伎役者だから女形なんだよね。
さらに博士はテーブルに残った7枚の浮世絵をボードに並べて、我々の地獄の世界を説明し、また地獄から抜け出す方法を説いた。
この時が、僕が博士から浮世絵を学んだ最初だった。
この時の方程式が今も常に自分の中にある。」
この友人が主催する勉強会で、私達参加者は彼からその方程式を学んだのです。
夏は日本橋から掛川まで、秋は袋井から京都までを展示する予定です。
浮世絵展示場に役者東海道の説明を置いていますので、ここに紹介します。

役者見立東海道五十三駅の浮世絵展示の一部

「役者見立東海道五十三駅」の浮世絵

今夏と秋の二回に分けて「役者見立東海道五十三駅」通称「役者東海道」のシリーズを展示いたします。
天保の改革(1841~1843)によって地本問屋組合は解体され、浮世絵の大半を占めていた歌舞伎役者の芝居絵は摺立禁止となり、出版元は小規模営業にならざるを得なくなりました。
それでも目立たぬように出版されていた役者絵は、嘉永五年(1852)問屋組合制度が再興された事により、特にこの年、単独のあるいは複数の版元が協力して、様々なアイディアのシリーズ絵が堰(せき)を切るように一挙に出版されたのです。
その先鞭をつけたのが嘉永五年閏(うるう)二月から六月にかけて出版された、当時一番人気を誇った絵師、豊国(旧名国貞)による「役者東海道」でした。
各宿場の景色を背景に、その宿場にちなんだ物語の登場人物を役者の半身似顔絵で描き、タイトルの枠を芝居のアイテムで囲んだこのシリーズは、当時爆発的に売れ、中には7000枚のセールスレコードを記録した作品もありました。
さらに背景の続き絵や宿場間などの続編が次々に追加出版され、総数140点とも言われる、浮世絵の中でも最大のシリーズ作品となったのです。
今回は最初に出版された、日本橋と京都を入れた55点の「役者東海道」を、夏と秋に分け展示いたします。
江戸時代で一番人気があった浮世絵をご堪能ください。

話を子猫へ戻します。
女将の空日記です

6/1(土)に突然家族になった子猫の空(くう)ちゃん。
オスなの?メスなの?と、動物病院に連れて行くも、

小さすぎて性別も分からない生後2ヶ月の440グラム。
手のひらの上で可愛く鳴く姿と大きな目に放っておけず、

ついつい構ってしまいたくなる日々。
よく食べよく動く活発な空。

一緒にいる4歳の犬、風太がなぜかキャットフードが好きで、空の餌を狙って食べに来る。
あっちにいけと風太に猫パンチ。
全く効き目なく。

風太が遊ぼうよと空にちょっかい出しているが、
風太の方が大きいので、風太に噛みつかれるようで、怖くて逃げる空。

日に日に大きく活発になり
身体の上に登ってきたり
ジャンプして机の上で飛び跳ねたり。

構ってほしくてわざとパソコンのキーボードの上で座り込んでみたり。
仕事の机の上で寝てしまったり。
静かになったなと思うと触っても起きないくらい爆睡。

そして、またエネルギーをチャージ。
元気一杯の活発な空です。

R6.6.30  松口 聡美

とはいえ、実は繁忙期を迎え、飼いきれるかどうしても不安がありました。
家の中での立場とルーティンがある程度決まった成犬の風太と違い、何をするか分からない好奇心満載の子猫の空です。
風太が世話役を自覚しているといっても、体格差があり過ぎるため、遊びが高じて興奮し何かあったら大変です。
室内飼いにするつもりはないのですが未だ子猫、野生の猿には一溜りもないでしょう。
一日のほとんどをひと部屋に閉じ込めてしまう日も増える中、宿泊に来て下さった女将のお友達姉妹が可愛い空に一目惚れしてしまったのでした。
それからの行動がとても速くて、あれよという間に空は婿養子になりましたが(男の子でした)、同じ県内、会えない距離ではないのです。

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